意識高い系はなぜ新しいSNSに力を入れるのか?
さて、意識高い系ウオッチャーとしてたまらないのは、新しいSNSなどが登場した際の騒ぎぶりである。今回も、傍観し、その香ばしさを堪能した。早期に招待されるかどうか、フォロワー獲得合戦、room運営の仕切り屋登場、盛りに盛ったプロフィールの記述、あおりにあおったroomの企画名、広がってまだ時間がたっていないサービスなのにもかかわらず「達人」「名人」を名乗り始める者など、まぁ、いつもの展開である。意識高い系しぐさの一つである「キチョハナカンシャ」も炸裂する。手をあげて、なんとか質問する機会などを得て、「本日は貴重なお話、ありがとうございました」と言いつつ、自己PRを始めるやからである。
フォロワー数が1000をどれだけ超えているかの競争まで起きている。運営ルールに抵触しているとみられるフォロワー数を増やすための無音部屋まで存在する。
もっとも、ここで立ち止まって考えたい。この手の意識高い系しぐさはなぜ起こるのか? それは、意識高い系の人々にとって、このムーブは極めて合理的なのだ。早めに始めてフォロワー数を増やした方が影響力を持ちやすい(少なくとも、力があるように見えやすい)。ノウハウもたまる。自分のことを大きく見せることができる。自分にとって利害関係のあるものに誘導するなど、ビジネスなどにもつながるかもしれない。
実は意識高い系にとって、極めて残酷なツールかもしれない
新しいプラットフォームはヒーロー、ヒロインを生み出す。思えば、ブログ、Twitter、YouTubeなど新たなプラットフォームはいつも、新しいスターや、再ブレークする人を生み出してきた。本業でのもともとの実力や知名度以上にブレークする可能性を秘めている。
なんせ、人はアクティブなプラットフォームに集まる。感度の高い人から広がり、アクティブに常に何かが起こっている状態は2009〜10年ごろのTwitterを思い出す。停滞していたり、すでに勝者が決まっているプラットフォームよりも、ブレークしやすいのである。
モデレーター、スピーカー、フォロワー数など格差を可視化しやすいツールでもある。意識高い系たちも、今が勝負のしどきなのである。そもそも、新しいツールに積極的に取り組むか否かは、意識高い系としてのレゾンデートルに関わる問題だ。意識がライジングせざるを得ないのである。
もっとも、クラブハウスは実は意識高い系にとって、極めて残酷なツールではないか。これまでのSNSは「盛る」ことが可能だった。今回もプロフィールやイベント名などは盛ることができる。ただ、トークは必ずしも盛ることができない。トークの中身、盛り上げ方、仕切り方などでオーディエンスから評価されてしまう。「ファシリテーションこそ意識高い系の真骨頂」と思う人もいるかもしれない。ただ、これこそ、実は意識だけでなく知識が必要なのだ。一見、素人のスタンスをとっていたとしても、人の話を引き出し、まとめるためには意識の高さや技術だけでなく、知識が必要である。毎日、イベントを主催したり、参加し続けるのには心技体を総動員しなくてはならない。YouTubeにしろ、ブログにしろ、始めることは簡単だが、影響力を与えること、続けることは簡単ではない。
さらに、Twitterなどのときよりも早く著名人が参入している。人前で話すことをなりわいとしている人たちを相手に、意識高い系はどう立ち向かうのか。まあ、こういう人たちはうまく絡んでいくのだけれども。