大ブレークの場であるようで、公開処刑の場でもある
クラブハウスで、意識高い系イベントを続けるには体力も必要だ。企画力、さらには喋り続け、仕切り続け、話すネタも増やさなくてはならない。実は意識高い系の大ブレークの場であるようで、公開処刑の場となる。「意識高い系の限界」が可視化される。
このようにクラブハウスの盛り上がりは意識高い系ウオッチャーとしてたまらず、ここ数日、私の食欲も増していて体重も体脂肪率も上がってしまった。ただ、彼ら彼女たちを揶揄するのではなく、なぜ意識が高まってしまうのかという点を直視しなくてはならない。人は意識高い系に生まれるのではなく、意識高い系になるのだ。意識高い系は流行にのっているようで、踊らされている。しかも、その「踊り」も存亡をかけたデスダンスだ。ルビコン川を渡るほどの覚悟があるのか否かが問われるのだ。
珍しく明るい未来について語ってみる
さて、最後に私が注目している使い方などについてまとめることにする。画像・動画なし、テキストメッセージなし、タイムフリー機能なしというこのサービスはシンプルだが、奥が深い。
個人的には、企業の採用活動でどのように利用されるかに注目している。採用活動の歴史は、新しいITツールを利活用する試行錯誤の歴史だからだ。特に新しいツールは感度が高い層、尖った層から使い始める傾向がある。思えば、いまや大衆化し、大量応募型就活が広まる一因となったと批判される就職ナビも当初は早期からインターネットを使っている尖った層にアプローチできるツールでもあった。mixi、Twitter、Facebook、YouTubeなどの各種ツールはこれまでも採用活動に活用されてきた。一時はソーシャルリクルーティング、ソー活という言葉がはやり、「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされたこともあった。
クラブハウスは前述したような機能上の制限はあるし、なんせ求職者のアカウントを特定するのに手間暇がかかるものの、企業説明会、社員との交流会、さらには人と人とのつながりにより採用するリファラル採用への活用などが考えられる。経営者や社員が発信することは、就職先・転職先として認知されることにつながるし、理解も深まる。
もっとも、採用活動においては、どれだけ求職者と対等な(もしくは、対等に近い)関係で接することができるか。これがリクナビ誕生以来、問われ続けていた問題である。
一方、メディア関係者は、どのように既存メディアと連動するか、ここから有識者や読者の声をいかに吸い上げるか、さらには新たなスターをどう発掘するかに注目している。思えば、この20年間、ネットの数々のプラットフォームから新しい論者、表現者が発掘されてきた。どのようなスターが登場するのか、あるいはすでに世に出ている人がこれでどう化けるのかに注目したい。