3連続KOの18歳を「無視」したワケ
田中将大がデビューから3試合連続でKOされたとき、実は私は怒りもしなければ、なぐさめもしなかった。無視した。
初勝利をあげ、先発ローテーションの座を確固たるものにすると、「マーくん、神の子、不思議な子」ともちあげたりして賞賛した。しかし、2年目以降、完全に楽天のエースとなってからは、めったにほめることはなかった。むしろ苦言を呈することが増えた。
選手の側からこれを見れば、無視されたとき、賞賛されたとき、非難されたとき、それぞれどのように受け止め、いかなる行動をとるかによって、一流になれるかどうかが決まるということだ。この3つの段階で、人は試されるのだ。
「一流」になる人間の分岐点
実力が伴なわない状態のとき、監督に無視された。それでふてくされたり、「自分を認めない監督が悪い」と逆恨みするようではまったくお話にならない。認められないのはなにが原因なのかを探り、認められるためにはなにをしなければならないかを考え、試行錯誤することから人の成長ははじまるのだ。
そうした努力が結実し、存在を認められ、与えられた仕事で結果を出したことで賞賛されたとしよう。ほめられればうれしいから、もっとがんばろうと思うだろう。監督やコーチも意欲をさらに引き出そうとして、もっとほめるに違いない。
しかし、ほめられているうちはしょせん二流である。ほめられたことで満足してしまえば、その人間は二流止まりなのだ。ましてや「おれはできるのだ」と自惚れたり、いい気になって勘違いをするなどもってのほか。
ほめられても「自分はまだまだなのだ」と自戒し、「もっとやらなければいけない」という謙虚な気持ちでもって、さらなる努力に勤しむ。さもなければ、それ以上の成長、すなわち一流になることは望めない。