悪い結果は「自分の責任」
実際、私の知るかぎりでは、言い訳をした選手は伸びたためしがない。
たとえば、ホームランを打たれて、「どうしてインコースを投げさせたんだ」とキャッチャーが監督から問い詰められたとする。そのとき、「アウトコースを要求したのにコントロールが悪くてインコースに行ったんです」と、ピッチャーの責任にするようなキャッチャーは、ピッチャーの信頼を得られないし、遅かれ早かれチームの信用も失うだろう。それ以上成長することもない。
たとえ、それが事実であっても、コントロールが悪いなら、それなりのリードのしかたがある。自慢ではないが、私はいつも、「打たれたらキャッチャーである自分の責任」と考えていた。監督に怒られても、言い訳しなかった。
結果を自分の責任として受け入れれば、「二度と同じ失敗はしたくない」とみな思うから、おのずと別の方法を考えることになる。置かれた状況のなかで、どうしたら成功する確率が高くなるかを考えることで創意工夫が生まれ、キャッチャーとして成長するのである。
「疑問を持つ力」と「学ぶ力」
打たれたことをピッチャーのせいにしてしまえば、それ以上思考することはないし、したがって行動が変わることもない。みずから成長を拒否しているようなものである。失敗しても決して弁解せず、「なぜ」という疑問をより多く抱いて、失敗から学び取る能力にすぐれた者を一流と呼ぶのである。
勝利の女神はとびきりいい耳をしているらしく、ちょっとでも言い訳めいたことを口にした人間には、二度と近づかない。
半世紀以上、勝負の世界で生きてきた私の実感である。
それでも、どうしても言い訳したくなったときはどうするか。即座に「ごめんなさい」と謝ることだ。「ごめんなさい、すみません」という言葉は、言い訳を自動的に断ち切る効用をもっているからである。