子どもを連れて帰れる「実家」があるのもファンタジー
私の専門である「家族」についても同じことが言えます。日本の少子化は、家族に対する公的支援が少ないことがそもそも問題なのですが、どうしても家族の問題では「自助の魅力を強化する」ことが叫ばれます。
例えば、朝日新聞は、1996年度の時点で全国の市区町村の少なくとも約3割に「家族介護者の表彰制度」があったことを報じています(朝日新聞「義母の介護41年で『模範嫁』に 自治体が表彰した時代」2020年5月6日)。表彰される対象が「嫁」限定である場合もありました。「嫁」に一方的に介護を押しつけることを、自治体が褒めたたえていたというこの構造は、行政が「自助」に価値を与えてきたことの証左の一つです。
さて、ドラマは後半ではコロナ禍を大胆に描いています。子どもが生まれたタイミングと緊急事態宣言の発令が重なり、平匡は育休を返上して仕事することになってしまいます。みくりは感染を恐れ、子どもを連れて実家に避難。2人は「離れていて大変だけど、頑張ろう。きっといつか一緒に暮らせる日が来るよ!」というメッセージを交わします。
私の印象では、ここにもファンタジーが隠されているように感じます。例えば、子どもを連れて帰る「実家」がちゃんとあるということ。これはかなり恵まれている状況です。未婚化晩婚化が進行している現在の日本では、親世代が高齢であることもあり、感染リスクを考えて里帰りを控えたという話をよく聞きます。
また、コロナが突きつけた「家族」の大変さは、残念ながらスルーされました。ステイホームの状況下、あまり家にいない夫や子どもたちと改めて「家族」をすることにより、関係がぎくしゃくしたという話は少なくありません。
恵まれているから、「自助」で問題を解決できた
「頑張ろう。きっといつか一緒に暮らせる日がくるよ」というのは、こういう問題点を「自助」におとしこむばかりのように思えます。考えてみれば、自粛を要請するだけで、ろくな補償もなく、自分でなんとかしろ、と言っているのが日本のコロナ対策でもあります。
何もかも恵まれている人たちが、「自助」で華麗に危機を解決していくという話は、むしろ恵まれていなければすぐにもつまずくという今の日本の現状と裏腹といえます。その点を補完したからこそ、冒頭にかかげたツイートがバズったのではないでしょうか。
『逃げ恥』のように社会的課題に向き合うドラマは応援したいし、今後もとても楽しみにしています。ただ、「超特大ファンタジー」を意識して使わなければ、それら社会的課題を描くことすらできないというこの現状こそ、本当の問題だと思うのです。