「サポートって何?」と言える時点で「勝ち組」だ

前回のテレビシリーズでは、みくりによる「それは、好きの搾取です!」というセリフが大変話題になりました。仕事を失った平匡のプロポーズに対して「結婚すれば給料を払わずに私をただで使えるから合理的……そういうことですよね?」と喝破したこのシーンは、性別役割分業が持つ問題の本質をきっぱりと示しました。「名もなき家事」が話題になっている昨今、このセリフはぐっとくる人が多かったと思います。

夫婦の役割分担について、今回も似たような状況が描かれています。その一つが「子どもが生まれるにあたって、僕は全力でみくりさんをサポートします」という平匡のセリフです。みくりはこれに対し「違う! サポートって何?」と強烈に反論します。

夫婦で一緒に子どもを産み育てていくのではなく、あくまで母親が産み育てて、父親であるあなたはサポートするだけなんですか? という平匡が持っている前提そのものを問い直したものでした。

日没時に新生児と散歩する父親
写真=iStock.com/SanyaSM
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ただ、「好きの搾取です」と「サポートって何?」には違いがあります。それは「好きの搾取です」は老若男女を問わずあらゆる人に敷衍ふえんできる「多数派」の課題であるのに対し、妊娠出産における「サポートって何?」という夫への告発は他への敷衍が難しいという点です。

経済的不安から結婚に踏み切れない人、結婚したとしても子どもを持てない人、妊娠出産にはその前段階にさまざまなバリエーションがあります。そして、仮に夫が「サポートしたい」と思ったとしても、経済的基盤や労働時間の関係からそれができないケースがそもそも圧倒的に多いのです。「サポートって何?」と夫に問い直せる状況は「勝ち組」の証しともいえます。

「自助」でしか妊娠出産を乗り越えられない日本

これこそが、私が違和感を覚えた「ファンタジー」の一端です。登場人物が恵まれているからこそ、さらに強い「敵」と闘うことが可能となる。しかも今回の『逃げ恥』では、自分たちの頑張り、すなわち「自助」を通じて「敵」を倒し、問題が解決していくのです。

他にも似たシーンがたくさんあります。夫が産休をとった時に外注先としてプロジェクトに関わっている元同僚が「産休とるの当たり前ですよね」と率先して言ってくれるという場面、つわりがひどくて家事が滞り夫婦仲が壊滅寸前な時に家政婦さんを頼めるほど金銭的に恵まれている場面(そういえば『逃げ恥』って家事外注の話だったなあと思いますが)、ファンタジーだと言われればそれまでですが、都心で働くサラリーマン世帯としては「まずありえない」でしょう。

現在の日本において、妊娠出産について社会的・体験的に説得力がある問題点をテレビドラマとして提示した上でそれを「ほっこり」した話にしようとすると、結局「自助」にしかならないのかもしれません。いわゆる「自助」「共助」「公助」のなかでも、妊娠出産はその多くが「自助」であるというのが現状です。そして私は、ドラマに問題があるというよりもむしろ、その現状自体が問題だと思っています。