そもそも罰則は本当に人の行動を変えるのか
これら感染者の生活をバックアップし、しっかりと金銭的補償も行えば、みだりに外出する人はかなり減らせるはずだ。万が一、これらの施策を講じたにもかかわらず、それでも入院拒否や無断外出など、明確な理由なく他者への感染拡大を引き起こす行動に出た人については、給付した補償金の全額返戻や現物給付されたものについては実費で相当額を徴収することなどを規定して、それを“罰則”とすれば十分ではないだろうか。
そもそも罰則を設けることで、その罰則を恐れて行動を変容させる人は、いったいどのくらい増えるのだろうか。事例はまったく異なるが、危険運転や飲酒運転に対しては、法改正によって厳罰化されたが、この厳罰化は危険運転や飲酒運転に抑止効果をもたらしたのだろうか。
「刑罰の一般的抑止力と刑法理論」という、立命館大学の生田勝義名誉教授(刑法学)による興味深い論考がある。「刑罰威嚇や警察監視がどの程度犯罪を抑止する力を持つのか」というもので、「業務上過失致死傷罪法定刑引上げの効果」はほとんどなく、「危険運転致死傷罪立法の犯罪抑止力がほとんどなかったことも、警察庁がまとめた統計データで実証されている」というものだ。
一方、道交法改正による飲酒運転厳罰化の抑止効果については、「酒気帯び運転についてはその街頭取締りの徹底とあいまってかなりの効果をあげた」ものの「酔払いにまでなるとそれらは少なくとも即効的な抑止効果を持ち得ない」という。
本人の認識・自覚がないかぎり抑止効果をほとんど持たない
「公道における飲酒運転のように取締機関による直接の監視が可能であり、しかも違反があれば容易に検挙できるものであって、行為者もそのことを認識・自覚している場合には、刑罰威嚇も抑止力を持つ」とのことだが、ただ「確実な取締りが可能であり、かつ現にそれを実施することが必要だということ」には留意すべきだとしている。
さらに「自分は大丈夫だと考えて危険行為に出る者とか、監視や取締りを掻い潜ることができると考えて行為に出る者に対して厳罰化はほとんど抑止効果をもたない」そして「ほぼ確実に処罰されるという客観的状況とそのことについての本人の認識・自覚がないかぎり抑止効果をほとんど持たない」とも述べている。
つまり政府が厳罰化の標的として想定しているような「規範意識が低い感染者」を捕捉する目的で法改正をしたところで、これらの人たちの“危険行動”を抑止する効果はもとより、感染拡大抑止効果などまったく期待できないとみて良いだろう。
そもそも自宅療養者の確実な監視や取り締まりなどはできるはずはないし、たまたま見つかった人だけが罰せられるというのも著しく公平性を欠く。恣意的運用がなされないと誰が保証できるだろうか。例えば今夏のオリンピック・パラリンピック開催はほぼ絶望的だが、万が一開催されることになった場合、感染した外国人選手が出歩いても国内の一般市民と同様に罰則が適用されるのだろうか。なにかと特別扱いされる国会議員にも公平に適用されるのだろうか。
政権を担当している人たちがあまりに信用できない現在、公平な運用がなされることを信じろという方が難しい。