29歳、ミクシィに転職。結果が出ずつらい日々でも見つけたやりがい

写真提供=ミクシィ

Webの仕事はますます面白くなり、さらなるキャリアを目指して転職したのが「ミクシィ」。2007年、29歳のときだった。

「あの頃はSNSm『mixi』が盛んな時期で、この仕事で多くのユーザーに影響を与えたいという思いがありました。ただ外国人である自分がまさか入社できるとは思わなかったんです。ずっと韓国の企業で働いていたので、韓国人であることはメリットでもあったけれど、日本語はあまりうまくないし、バックボーンも違うので、もっとがんばらなきゃという焦りと緊張感がすごくありましたね」

ミクシィではmixiミュージックの配信型サービス「mixi Radio」の立ち上げを目指し、新しい市場を開拓する挑戦でもあった。ディレクターを任された姜さんはプロジェクトの進行を担い、デザイナーやエンジニアなどメンバーとのコミュニケーションが欠かせない。言葉のハンデも補うため、綿密な資料作りを心がけた。

当時はまだ日本の音楽業界でストリームサービスが認知されていなかったので、旧来の市場では立ちはだかる壁も多かった。著作権やレーベルなどとの交渉や契約は困難で、ユーザーが好むような音源取りも苦労した。

「リリースしてからもいろいろ改善を重ねたのですが、思うように結果につながらなくて辛い思いをしました。それでもメンバーに恵まれて、私もなにより仕事が好きだった。いちばん頑張った時期かもしれませんね」

待ち望んだ妊娠と極度の不安。子どもを抱きながら一緒に泣いた日々

終電帰りや土日に仕事をするのも当時は珍しくなかったという姜さん。そんな生活が一変したのは30代半ば。同じ韓国の男性と結婚して8年目に念願の子どもを授かったのだ。待ち望んだ妊娠だが、産休に入るときは不安でたまらなかったと振り返る。

「ミクシィもまだ若い会社だったので、産休・育休をとる人が周りにいなかったんです。だから、産休に入ったらどんな生活になるのか、本当に職場へ復帰できるのだろうか……と想像もつかないことばかりでした」

日本では誰も頼れる人がいなかったので、韓国へ里帰りした姜さんは2013年7月に出産。子育ては想像していたよりはるかに大変だった。生まれた男の子は昼夜ずっと泣いていて、病院へ駆けつけたことも幾度かあった。腹痛のためと診断されるが原因はわからず、泣いている間は実家の両親と交代で抱っこしているしかなかった。

産後7カ月で日本へ戻ると、日中は一人で育児に追われる。子どもは哺乳瓶でミルクを飲むことを嫌がり、離乳食も食べてくれない。エンジニアの夫は帰りが遅く、子どもと二人きりの毎日は息がつまるようだった。

「頭の中は子どものことでいっぱいで、自分もおかしくなるんじゃないかと不安になるときもありました。泣きやまない子を抱きながら、一緒に泣いてしまったり。夫も『親もとにいた方がいいよ』というので、またしばらく実家へ帰りました」

職場への復帰も厳しかった。育休中に保育園探しを始めたものの、周りにママ友がいなかった姜さんには保活の情報も入らず、夫と探し始めた頃にはどこも空きがなかった。

育休明けには間に合わず、ようやく仕事へ復帰できたのは2014年11月。1年半以上のブランクの間にスタッフも入れ替わり、職場はすっかり様変わりしていた。