知らないという感情と嫌いという感情は近い

――知識不足でバッシングしてしまうというお話しがありましたが、なぜ、知識がないとバッシングしてしまうのでしょうか?

【西野】知らないって感情と嫌いって感情が近いってことですね。

つまり僕たちは、人が嫌っている理由を深堀していくと、嫌いだから嫌っているものってあんまりなくて、知らないから嫌っているっていうことが結構ある。

クラウドファンディングよく分からない、怪しい、詐欺だ、嫌い、みたいな。オンラインサロン、怪しい、宗教だ、嫌い、みたいな。咀嚼する前に嫌っちゃうってあるじゃないですか。知らないものを結構嫌う傾向にある。

©西野亮廣/『映画えんとつ町のプペル』製作委員会

 毒キノコを食べたら死ぬ、みたいな感じです。よく分からないものを口にしたら危険は伴うので、得たいの知れないものをはじくっていうのは、身を守る行為ではあると思います。でも、それが行き過ぎちゃうと、身を滅ぼしちゃうっていう。

――そうですよね、今、日本って守りに入り過ぎて沈んで行っている気がします。

【西野】ほんとに。それはなんとかしたいな。

 だから、やっぱりみんな教育の方に行きますもん。友達で夢を叶えた人とか、(日本が沈んで行っている)根源どこなんだっていうと、やっぱり学校教育がやばすぎるっていうところになって、みんなそっちに行きますね。

学校で生きる力は身に着かない

――先ほど、お金の教育をしないというお話しがありましたが、ほかに学校教育のまずいところってどこですか?

【西野】先生が社会を知らないっていうところ。先生に税金のことしゃべってくださいって言ったら、たぶんみんなもごもごしちゃうと思う。

それなのに、その先生が進路相談をしてしまう。先生は答えられないですよ。社会を知らないので。

――知らないと、挑戦を応援できないですよね。

【西野】そこ、先生を責めちゃうのはちょっと酷だなと思っていて、先生はそういう競技を任されたから、それに従ってやっているので。どっちかっていうと仕組みの問題で、「学校では生きる力は教えてくれないよ」っていうことを親が割り切らないといけないですよね。

©西野亮廣/『映画えんとつ町のプペル』製作委員会

――親は割り切る。

【西野】学校は生きる力を学ぶところではなくて、学校で学んだことは全部ほぼ使えないっていうことを割り切る(笑)。これはもう世のことわりというか、日本では当然じゃないですか。

そういうことを割り切って、学校から帰ってきた時に子どもに何を教えるかっていうことをやらないと。学校のカリキュラムだけでは挑戦する人は作れないですよね。

――学校の先生は、一回社会に出て働いた人がいいですかね。

【西野】ほんとはね。そういう先生も中にはいらっしゃいますけどね。でもほんといい先生に当たるか当たらないかは運なので。だから基本的には親ですね。

僕がどのプロジェクトをやる時も決めていることがあって、自分の意志で変えられることと変えられないことをちゃんと分ける。

親目線でいうと、学校のカリキュラムは基本的に親の意思で変えられない。学校は生きる力を教えてくれるところではない、そこは変えられない。だから、親が自分の子供にちゃんとお金の教育とかをする。自分も一緒に本を読んで、一緒に勉強するっていうのは自分の意志で変えられるところなんで、そこはやったほうがいいですよね。変えられるところに手をつけたほうがいい。