「よい質問」に探求すべきテーマがある
組織の一員として仕事をしている場合、「何をすべきか」についてのおおよその方向付けは、上司の判断などによって決められている場合が多いでしょう。しかし、その枠内においても、それをどのような観点から見て、どのように処理するかということについては、あなた自身の判断が重要なはずです。
私がアメリカに大学院生として留学したときに最も印象的だったことの1つは、教授が学生の質問に対して、「それはよい質問だ」としばしば言ったことです。アメリカの学生はよく質問します。その質問がよい質問か、平凡な質問か、あるいは悪い質問かの評価をされるのです。
日本の学校では質問をする学生がそれほど多くないので、教師からこうした反応を聞くことはありません。そのため、「よい質問だ」というコメントは、大変新鮮な印象でした。「よい質問をした」ということは、「よい問題を捉えた」ということです。つまり、「探求すべきテーマを見いだした」ということです。ですから、「よい質問をする」のは、大変重要なことなのです。
教授自身が、学生の「よい質問」に触発されて、何かを思いついたこともあるのではないかと思います。私は、日本に帰ってきて大学で教えるようになったとき、学生からできるだけ多くの質問を受けるようにしました。そして、その質問をメモしていました。質問に触発されて私が思いついたことを、メモしていたのです。
自分以外には書けないものを書く
書籍や論文のテーマであれば、需要が大きいもの、つまり、多くの人が必要であると考えているもの、あるいは多くの人が関心を持ちそうなものを選ぶというのが、多くの著者の選択です。
しかし、そのようなテーマに対しては、供給も多いのが普通です。そこで、供給側の条件、つまりあなた自身の相対的な位置を考える必要があります。多くの人が書けるようなものを書いても、大量の供給の中に埋もれてしまうでしょう。その逆に、あなた以外の人には書けないものを書くことができれば、大変有利な立場に立つことになります。