このタイミングでの停戦について、「プーチン大統領は(トルコの)エルドアン大統領と停戦に向けて裏で手を握った(NHK石川一洋解説委員)」という見方もある。これは、コーカサスという歴史上でみても政治的に難しい地域を、ロシアとトルコで覇権を二分しようという考え方によるものだ。9月下旬、米大統領選を前にアルメニア寄りのバイデン氏が優勢という流れのタイミングで、ナゴルノ・カラバフで衝突が始まり、ついにはその勢力図に大きな変化が訪れたのは歴史の必然なのだろうか。
約2000人のロシア軍が駐留することに
アルメニア系住民が“建国”したナゴルノ・カラバフ共和国の“首都”ステパナケルトからわずか10キロの高台にあるシュシャをアゼルバイジャン軍が奪還、“首都”の陥落も間近、という局面でようやくロシアが仲介へと乗り出した。
停戦合意の結果、2000人近いロシアの軍人が当面5年間、アゼルバイジャンの領土内に残るのは同国民にとっては不本意だろう。一方、ロシアとしては紛争当事国の2カ国に存在感を見せつけられるメリットがある。また、アゼルバイジャンはこれまで空路に頼りがちだった飛び地のナヒチェバンへの交易路が今回初めてアルメニア領内に道路として通ることとなった。これは大きな戦果だといえる。
完全解決までの道のりは遠い
ともあれ、アルメニアの人々は絶望的な敗北感に襲われているだろう。世界の主要メディアに「伝えない自由」を選択させ、敗色が濃いことを隠し通したものの、自国民の死傷者は民間人との合計で4ケタに達し、占領下にあった“領土”を大幅に失った。今や、首都エレバンは合意に署名したパシニャン首相の辞任を要求するデモ隊で溢れ、議事堂にまで暴徒が乱入。首相は「自分の携帯電話まで盗まれた」と嘆いている。17日には、とうとうサルキシャン大統領が内閣の総辞職と議会の繰り上げ総選挙実施を要求した。
一方、領土返還の日が迫る地域に住むアルメニア系住民らは引き渡しを前に、家からあらゆるものを取り外して持ち出しの準備を進めながら、最後にその家を燃やしてアゼルバイジャン人に使わせないよう処分しているという。
いったんは停戦に持ち込まれたナゴルノ・カラバフ紛争。ただ双方の住民が抱える恨みはただならぬものがある。中期的には平穏が訪れるかもしれないが、完全解決までの道のりは遠そうだ。