同じあだ名でも関係性次第で意味合いが変わる

もう1つ、名付けたあだ名で印象深いのが「給食エース」。

当時のクラスにはいくつかの目標がありました。その1つが給食を残さず食べること。そこで全員が食べきれるよう、最初の盛りつけを少なめにしていました。余った給食はまだ食べられる子がおかわりをするようにしていました。そのとき、頼りになるのが「給食エース」でした。

身体が大きかった彼は、毎日、必ずおかわりしてくれました。それでもまだ残っていると、ボクは決まって野球の監督がマウンドの投手に声をかけるように「エース、まだいけるか?」と問いかけます。彼は親指を立て「まかせて」と席を立ち、クラスメイトからの応援の拍手を受け、クラスの目標のために、とおかわりをしてくれるのです。

彼もそんなに太っているわけでもないのに身体が大きいから「ぽっちゃり」とからかわれたこともあるようです。しかし、その特徴を活かし、クラスに貢献でき、みんなに感謝されたのがうれしかったのでしょう。彼は1学期の通知表に〈『給食エース』にしてくれてありがとう。これからもたくさん食べます〉というメッセージを書いてくれました。

とはいえ、あだ名をつければいじめがなくなり、子どもたちが自信を持てるといっているのではありません。また、クラスのなかに彼らの居場所をつくるために戦略的に「鉄道ダリン」「給食エース」と名付けたわけでもありません。

子どもたちと信頼関係を築く過程で、偶然、生まれたあだ名でした。ボクと彼らの関係性、クラスメイト同士の信頼関係、親御さんのご理解という素地があったからこそ、自然に定着したあだ名だったのです。

もしも、子どもたちとの関係づくりをおろそかにし、クラスメイト同士も信頼し合っていない状況で、ムリにあだ名をつけようとしたらどうなっていたか。

「鉄道ダリン」「給食エース」というあだ名に、「鉄道オタク」「ぽっちゃり」という悪意を込めてからかう子もいたかもしれません。そんな気持ちは、呼ばれる本人に伝わるだけでなく、クラス全体に伝播してしまう。「鉄道ダリン」も「給食エース」もきっとあだ名を快く受け入れられなかったはずです。だからこそ、クラスの全員が親しみを込めてあだ名を呼び合える雰囲気づくりが重要だったのです。

「こうすれば、こうなる」という方程式は通用しない

インターネット上で、興味深いアンケートを見つけました。

「小学校の校則であだ名が禁止されることについて、どのように思いますか?」

調査によれば、賛成が18.5%。反対が27.4%。どちらでもないが54.1%。

沼田晶弘『One and Only 自分史上最高になる』(東洋館出版)

どちらでもないが過半数を越えた結果に、こう感じました。あだ名を禁止するか、しないか。それ以前の話だとほとんどの人が受け止めたのではないか、と。

互いに認め合っていれば、あだ名で呼び合う関係もいいし、相手がイヤがるようなあだ名は口にすべきではない。そんな当たり前の感覚を持つ人が多かったのでしょう。

あだ名が、いじめやスクールカーストを生む。または、あだ名がクラスの雰囲気をよくする……。

原因と結果は、そんな単純ではありません。教師によっても性格や考え方、教育方法もさまざまで、クラスの三十数名の子どもたちも多様な個性を持っています。そこで「こうすれば、こうなる」という方程式は通用しません。それは教室のなかだけの話ではなく、ビジネスの現場でも同じでしょう。ボクは「あだ名を禁止すれば、いじめがなくなる」と決めつける考え方が、子どもをめぐる問題の本質を見誤らせる危険性をはらんでいる気がするのです。

(構成=山川徹)
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