「あだ名」とは親しみを込めた呼び方である

すぐさま「いまのままでいいんじゃないの?」「ありえない。なんであだ名で呼んじゃいけないの?」という反応のほか「オレのこと『雑魚』って呼んで」とふざける男子生徒もいました。ボクが「毎日、『雑魚』と呼ばれて、怒らない自信があるのなら先生はそれでもいいぞ」と問い返すと、彼は少し考えてから「いや、やっぱり怒るかも……」と答えました。

東京学芸大学附属世田谷小学校の沼田晶弘教諭
撮影=林ユバ

そんなやり取りをしているさなか〈あだ名〉を辞書で調べた生徒がこんな話をしました。

「あだ名には〈他人を親しんで本名以外につける名〉という意味があるらしいよ」

明鏡国語辞典を厳密に引用すれば、〈他人を親しんで(または、あざけって)本名以外につける名〉ですが、子どもたちは友だちを親しんで呼ぶニックネームとして受け止めているようでした。そのせいでしょう。結局「雑魚」は、あだ名として定着しませんでした。子どもたちが親しみを感じなかっただけでなく、「雑魚」と呼べば、彼が腹を立てるのが分かったからです。生徒たちが相手の気持ちを想像できることがうれしかったし、あだ名についてこういう話し合いを持てたことが彼らにとっていい学びになったと思いました。

呼ばれた相手がイヤがらない。それが、あだ名で呼ぶ最低限のルールといえるのではないかと思います。相手がイヤがる呼び名を言い続けるのは、あだ名ではなく、ただの悪口です。

あだ名で一躍クラスの人気者に

納得できない呼び名で呼ばれれば、その子は怒ったり、不愉快な表情になったりする。それを面白がって、周りがはやし立てる。やがて本人は学校に行きたくなくなってしまう……。そんな負のスパイラルは確かに存在します。そう考えると、あだ名がいじめに発展するリスクになるのなら禁止すべきでは、と結論づけたくなる気持ちも理解できます。

しかし本当にそうでしょうか。子どもにとって、あだ名がプラスに働くきっかけになる場合もあるのです。過去に、「鉄道ダリン」というあだ名をつけた子がいました。

ある日、クラスの女の子が「ぬまっち、これ面白いよ」と録音を聴かせてくれました。それは、クラスの男子が電車の車内アナウンスを耳コピし、披露する音声でした。あまりの完成度の高さに衝撃を受けたボクは、すぐさま彼を呼んで、実演してもらいました。お世辞を抜きに、本当に凄い才能だと感じました。いまも講演会に彼が遊びにくるとみんなの前で披露してもらったり、本人に許可をとって「鉄道ダリン動画」を使用させてもらったりするほどです。

クラスで紹介すると、彼はみんなに絶賛されました。実は、彼は車内アナウンスが大好きで、いつでもブツブツと練習していたり、友だち同士でコミュニケーションが少し苦手だったりしたせいで、うまくいっていなかった時期がありました。しかし特技の披露をきっかけに、「鉄道ダリン」は、クラスの人気者になりました。何事にも積極的に取り組むようになり、全国の自信を持てない子に読んでもらえる本を書きたいと実際に執筆を始めたようです。