「プリウスを分解して研究したり、トラックのハイブリッド車を参考にしたが、建機の機構はまったく別物だった」
と平木がしみじみ述懐するように、一からの開発を迫られることになるが、それでも彼らの背中をぐっと押したのは、「コンポーネントは内製でいこう」という経営トップの判断だった。ハイブリッドの部品は、すべて自前でやることになる。
クリアすべき技術の壁は数知れずあったものの、最初数人でスタートしたハイブリッド部隊が十数人に膨れ上がるにつれ、ひとつひとつ課題をこなしていった。最後まで難関として立ちはだかったのが、電気を貯めるキャパシタの扱いである。
7秒に1回のブレーキに合わせ、瞬時に何百アンペアという大電流が流れるため、それに耐える設計でなければならない。乗用車は化学反応を利用するニッケル水素電池やリチウムイオン電池を使っているが、これでは発熱による引火の危険性が高い。試行錯誤の末、イオンの移動だけで蓄電できるキャパシタを採用することで何とかハイブリッド建機の商品化への道筋をつけた。
だが、そこに辿り着くまでの道程は技術屋同士の衝突の連続でもあった。当初案のキャパシタは3倍近い大きさがあり、「これを埋め込むだけのスペースを確保してくれないか」と頼むと、「そんな狭いスペースにまとまるはずがありませんよ」と反発が出るなど言い争いが絶えなかった。平木が井上を、「部下の意見をよく聞いたうえで、落としどころを探る」とその調整能力を高く評価するのも、このプロジェクトが、井上の協力なしには実現できなかった証でもある。
今となっては笑い話だが、当時を回想して2人はこう話す。まず、平木。
「キャパシタのあの寸法は、ずいぶん強引に押し込んだよね。それで、仕事が終わって帰るときにやっぱり心配になって、駅のプラットホームから『あれ、どうなっている?』と井上君に電話したことがあった。いや、電車の中で心配になってきて、『あれ、早いことやれ!』と怒鳴りつけたこともあったな」
これを受けて、井上。
「平木さんは電話好きですからね。僕は顔を見て話している分にはいいけど、ちょっと電話が苦手なところがあって。平木さんが込み入った話をして、尻切れトンボになってしまうと、胸の中にモヤモヤが残ったままになる。気づくと、(研究所のあった)川崎の商店街をうろうろと歩き回っていたこともありましたよ」