命を狙われても、どうしても変えたかったこと

僕は、こんな大阪が嫌だった。引っ越そうと思えばいつでも東京に引っ越すこともできたし、自分の生活のことだけを考えれば、嫌な大阪に税金だけ納めれば、あとは楽に暮らしていけた。生活に何の不自由もなかったし、そんなに世間から批判・誹謗・中傷を受けるような立場でもなかった。

それでもこの大阪を何とかしたい。子どもたち、孫たちにもう少しましな大阪を残したい。そういう思いで、とりあえずそのときの生活のすべてを横に置き、政治に人生を懸けてみた。僕のやってきたことは100%完璧ではないし、問題もあっただろう。僕はそんな完璧な人間ではない。それでも前述の大阪の課題を解決するために、絶対に逃げず、絶対に手は抜かず、100%完璧ではないかもしれないが、脳みそに汗をかきながらそれなりの解を出して大阪を前に進めてきたつもりだ。問題の先送りは絶対にしなかった。

だから猛反発も受けた。自分の命だけでなく、妻や子どもの命まで狙われるようなこともあった。

前任の太田房江知事は約8000万円の退職金をもらったが…

住民への説明不足とよく言われたけど、大きな政策を実行するときには、住民説明会には自ら足を運び、大阪都構想のタウンミーティングや街頭演説は1000回や2000回はゆうにやっている。腹の立つメディア相手にも、どの政治家にも負けないほど、インタビューや記者会見に応じてきた。

そして、政治家をやっている間だけは、カネに関しては完全にクリーンにやったつもりだ。今は民間に戻ったので、税務調査のときに経費認定をめぐって税務署と見解の相違が出てくることもあるけど、政治家のときには政治資金の使い方をめぐって有権者との見解の相違は絶対に出ないように、完璧すぎるほどのカネの使い方にしたつもりだ。

もちろん知事、市長の給与や退職金もカットし、前任の太田房江知事は2期務めて約8000万円の退職金、周辺の知事も3期や4期やれば1億を超える退職金をもらえるのに、僕はそんなお金はもらえなかった。松井さんも吉村さんも同じだ。逆に、僕は大阪府知事選挙のときには、出馬関連費用として数千万円ほど自分の金を使ったほどだ。