曹国前法相がSNSで繰り返した台詞
こうした特殊なエリート校が高校の序列化を形成していると批判し「すべて廃校にすべきだ」と強く主張してきたのが、前法相の曹国(チョ・グク)ソウル大学教授やソウル市教育監(教育委員会の長)のチョ・ヒヨンらである。声を高めてそう叫んできた彼らも、自分の子どもを外国語高校に進学させていたことがのちに明らかになった。人びとを苛立たせたのは、社会正義や公平を叫びながらも、他人の子と自分の子は違うという、偽善的な言動不一致だった。
韓国には「小川から竜が生まれる」ということわざがある。貧しい家庭から名門大学に進学するという意味で使われることが多い。曹国前法相が自著やSNSで繰り返し説いた有名な台詞がある。「皆がみな小川の竜になる必要はない。ミミズでもカエルでもメダカでも幸せに暮らすことができるのが、よい小川だ」というものだ。
どの人も尊重される社会を理想とする名言のようにも聞こえるが、優れた才と環境に恵まれた少数のエリートが平凡な人びとを治めるという、儒教的な序列社会を肯定する発想である。
文在寅政権は2019年に、高校の序列化を解消するとして、外国語高校や自律型私立高校の認定を取り消し、25年から一般高校に転換すると発表した。学校側や一部の保護者から強い反発が起きているが、順調に進めばこれらのエリート校は全廃されることになる。
過度な期待が裏切られ、子どもを攻撃
韓国には「教育虐待」という言葉がある。親が過度な期待を子どもに抱き、思い通りの結果が出ない場合に子どもを攻撃する、という意味で使われる。子どもの受忍限度を超えて勉強させるのも教育虐待である。
親本人は子どもの将来を思い必死なだけに、わが子を虐待しているという意識は低い。殴る蹴るといった身体的虐待より、暴言を吐くといった心理的虐待の方が多いとされる。
この話を韓国の子育て中の親と話すと、「自分も子どもの頃からそうやってきた。だからいまがある」と、自分に重ね合わせて当然視する人が多い。「のびのびさせてやりたいが、わが子が競争社会で落伍者になる姿は見たくない」と諦念する親もいる。「現状の教育システムから逃れるには、海外移住か移民しかない」と実際に脱出を試みる親もいる。
韓国人の海外移民のピークは1980〜90年代で、それ以降はむしろ減少傾向にあるが、2000年代以降の海外移民は、「子どもの教育のため」が一貫してもっとも大きな理由として挙げられている。
銀行から借金をしてでも留学させる
教育は、階層上昇または維持のためにもっとも重要な手段でもある。それだけにすべての面で優先され、家族関係に負の影響があろうとも子どものために耐える、という価値観が内面化されている。
銀行から借金をして子どもを海外留学させる、月給の半分以上を子どもの塾代に支出するなど、過度な教育投資をするのは、まさにこのような信念による。
1980年代から90年代にかけて、地方からソウルの高校に進学させるため母子で上京し、父親は仕送りするという離散家族は珍しくなかった。2000年代以降は、早期留学させるために妻子を海外に送り出す父親や、実家に子どもを預け、都心で共働きをして子どもの教育費を稼ぐ週末家族が続出した。
ここでは、家族離散による子どもへの負の影響は顧みられていない。教育費をかけることが子どもの幸せにつながると信じて疑わない学歴信仰が、家族のありようまでも規定しているのだ。
教育費に糸目をつけない富裕層の多くは、子どもを中学や高校から海外の有名私立校に留学させる。早い子は13歳から親元を離れることになる。
名門寄宿学校卒の娘がとった行動は
ある富裕層の家庭の話である。英国の名門ボーディングスクール(全寮制の寄宿学校)に通い、現地で大学入学後に一時帰国した娘は、母親が救急車で搬送され緊急入院したと連絡がきても、クラブで朝まで踊り明かした。その後も一度も見舞いに行かなかった。
周囲から親不孝をなじられた娘は「13歳から外国に送り出され、ひとりで耐えてきた。具合が悪いときもつらいときも、そばに母親はいなかった。育児放棄した親への情なんてない」と言い放った。
こうした韓国の教育システムと比べると、日本の場合、小学校から大学の各段階で、入学試験という選別システムがあるが、韓国にはこれがない。日本では高校受験の段階で、子どもの学力について親はある程度見極めがつくことが少なくない。これに対し韓国では、一部の例外を除き一般的には大学受験しか選別試験がなく、親子ともに挫折経験を経ていない。そのため親は子どもに過剰な期待を抱き、天井知らずの教育投資をしがちだ。子どもたちへの「努力すればできる」という期待ボルテージも上がり続ける。
子どもの数が少なくなったことで、祖父母世代からの期待圧力も強まる一方だ。現代の韓国では、受験に重要なのは「母親の情報力と父親の無関心、祖父母の経済力」といわれている。
親と子が過ごす時間は1日わずか48分
韓国では出生率の低下に歯止めがかからずにいる。若い世代が出産を忌避する心理的要因に、生育過程で経験した教育虐待が潜んでいる可能性も否定できない。
韓国の子どもは、学校の成績や経済水準よりも、両親との良好な関係に幸せを見出しているという調査結果がある。2019年版『東亜年鑑』によれば、父親や母親との関係が良好な子どもは8割が生活に満足していたが、そうでない場合は生活の満足度が5割以下だった。「幸福の条件として、親との間の密接でよい関係を子どもは欲している」という分析が付されていた。
子どもはいつか巣立つ。子どもが親を欲してくれる時間は、親が思うよりもずっと短い。保健福祉省の報告書「2018年児童実態調査」によると、韓国の子どもは物質的には満たされているが、社会関係(余暇、友人・家族との時間など)の欠乏感が大きかった。韓国の子どもが両親と一緒に過ごす時間は一日わずか48分で、調査対象となったOECD加盟国の35カ国中、最下位だった。ちなみに、OECD加盟国の平均時間は一日150分だった。
子どもがどんなに親を求めていても、韓国の親が子どもと過ごしている時間は、先進諸国平均の3分の1にも満たないのである。
子育ては、やり直しがきかない。韓国の高齢者に人生で後悔していることは何か訊いた調査では、子どもとのコミュニケーションが少なかったことを挙げる人が多かった(KDB大宇証券「2014シニア老後準備実態調査報告書」)。