「世界で最も安全な場所」から帰国、完全な浦島太郎状態だった

日本に帰ってきたのは6月14日。成田空港は暗くて閑散としていました。入国審査の後にPCR検査を受けましたが、結果が出るまで4、5時間かかるため、待機する人のための段ボールベッドが50台ほどロビーに設置してあって、ちょっと変な雰囲気でした。

ところが、妻に運転してもらって待機先のホテルに着いてみると、出国前と大きく変わったという印象はありません。確かにみんなマスクを着けてはいるけれど、街中を普通に歩いている人がいるし、弁当も自由に買いに行けました。

一時待機を終えて、自宅のある鎌倉に戻ると、大勢の観光客でにぎわっています。ディストピアは妄想にすぎなかったのかと思ってしまうほど、表向きは平穏な生活が待っていたのです。

考えてみれば、緊急事態宣言が解除されたのが5月25日ですから、僕は日本中が深刻にコロナを恐れていた時期をまったく知らずに、緊急事態宣言解除後の緩んだ日本に帰ってきたわけで、完全な“浦島太郎”状態でした。

おそらく僕が日本にいない間に、未曽有の事態を前にたくさんの人が真剣に議論を重ね、さまざまな新しいルールが定着していったのだと思います。

でも僕は、そうした経緯を知らずに「世界で最も安全な場所」から帰国した人間です。何も知らないだけに、あまり神経質になって、過剰な規制や自粛をする必要はないんじゃないか、とも思ってしまった。

コロナによって可視化された死のリスク

僕は死と隣り合わせの探検という行為をずっと続けてきたわけですが、探検や冒険にはわざわざ死を目の前に立てて、それに接近していくことによって「生きる」ことをリアルに経験するという側面があります。

前回の極夜行では、テントごと吹き飛ばされそうな大きなブリザードに2度も遭いました。事前に運んでおいた食料を白熊に食いあさられ、最後は相棒である犬さえ自分の食料として計算に入れる必要にも迫られた(ありがたいことに最悪の事態は免れましたが)。

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でも、よくよく考えてみれば、僕らの日常生活だって死の危険に満ち溢れているのです。誰だって、交通事故や急病で明日死んでしまうかもしれない。にもかかわらず、多くの人が安心して暮らしていられるのは、「これまで大丈夫だったのだから、明日も大丈夫だろう」と思い込んでいるからにすぎません。僕はこうした心理を「未来予期」と呼んでいます。多くの人が未来を安全なものだと予期しているから、平気で生きていられるのです。これまでの探検の経験から、未来予期こそ人間の存立基盤なのだと、僕は考えています。

ところがコロナウイルスの蔓延によって、現実がリスクに満ち溢れていることに多くの人が気づいてしまった。日頃は隠されている死のリスクが可視化されてしまったと言ってもいい。僕が探検で直面するのと同じように、突如、日常生活の中に死の可能性が浮上してしまった。要するに未来予期がきかなくなり、存立基盤が崩壊し、そこに皆、不安を感じているわけです。