「沙知代は俺を殺す気か?」

確かな理論や知識があっても、それを多くの人たちにわかりやすく伝えられなければ意味がない。野球に詳しくない人が相手のときにも、すぐに理解できる言葉、説明で伝えなければならない。さらには、聞いてもらった相手に、「面白い」「興味深い」などと思ってもらえることが望ましいわけだが、これが本当に難しい。

野村克也『老いのボヤキ 人生9回裏の過ごし方』(KADOKAWA)

何度か壇上に立ってもうまく話せず、すっかり自信をなくした私は、「俺には無理だ。もう講演会は断ってくれ」と、スケジュール管理をしてくれていた沙知代に言った。だが、沙知代はそれからもどんどん講演会の依頼を受けた。上達しない講演会の自分が嫌になり、一時はプレッシャーからか円形脱毛症にもなった。

それでも、沙知代は次から次に講演の予定を入れていく。「講演会はやりたくない」といくらボヤいても、「声がかかるということは、それだけ期待されているということよ。応えるのが当然でしょ」と言って取り合ってくれない。

1日2回は当たり前、多いときは年間に300回は講演会をやっていたと思う。無茶なスケジュールをサッチーに組まれてヘリコプターで移動したこともある。「沙知代は俺を殺す気か?」と文句も出るくらいの忙しさだった。これだけやってれば、そりゃあ田園調布に家も建つわけだよ。

野球以外については知らないことばかり、だから本を読む

気の進まない講演会の仕事がどんどん増えていっていた頃、自分の知らないことが世の中には非常にたくさんあると気づいた。

私は野球のことならいくらでも話せる。南海時代、マンションが隣同士だった江夏豊とは、毎晩夜遅くまで野球談議に花を咲かせたもんだった。私は来るもの拒まずのスタンスなので、野球の話をしたいという人がいれば応じてきた。落合博満は向こうから声をかけてきてくれ、ときには話し込むこともあった。

しかし、野球以外のことについては知らないことばかり。何かをたとえようと思っても、野球のたとえしかできない。逆に、野球のことを一般的な話に置き換えるようなこともできない。講演のメインは野球についてといえど、これでは話に広がりが出てこないだろう。

どうしたものかと悩んでいたとき、沙知代が以前言っていた、「野球選手も本くらい読まなきゃダメよ。いい本を読めば、それが野球にも生きるんだから」という言葉が頭に浮かんだ。

「読書、やってみるか」と思い立ち、もっといろいろな見識を深めて自分の知識を増やそうと思った。草柳先生にも助言をいただき、私は早速読書に精を出した。