俺から野球を引いたら何も残らない

監督の仕事を引退してからも、野球の解説や講演会を続ける生活が続いた。

「解説してほしい」「本を書いてほしい」といった依頼が絶えないため、体が動くうちはその期待に応えたいと思ってやっている。何よりも、野球が好きだからだ。

特に仕事がなければ、家でテレビを見ながらゴロゴロしている。「引退したんだから、もっと好きなことをして過ごせばいい」などと言われることもあるが、これといった趣味も私にはない。

プロ野球選手の中にはゴルフ好きの人がかなりいる。オフになると選手同士でゴルフに出かけることも珍しくない。私も若い頃には誘われて数回行ったこともあったが、それっきりだ。ゴルフにはまってしまうと、野球がおろそかになるような気がして、あえて距離を取ったのだ。

それに、体を動かす趣味はこの歳ではなかなか難しい。芸術関係には疎いので、ミュージカルを見に行くとか、美術館を巡るとか、そういった趣味もない。旅行好きというわけでもないし、家庭菜園や囲碁・将棋の類いもやらない。CDを出したこともあるので歌は歌えるし、何度かカラオケに行くこともあったが、趣味と言えるほどでもない。

結局、関心があるのは野球だけ。

そんな自分を表したのが、「野村-野球=0」という言葉だ。「俺から野球を引いたら何も残らない」ってわけだ。そのくらい野球が人生のすべてと言っていい。学生時代から野球を始め、現役時代は24時間ずっと野球のことを考えてきた。それこそ生き甲斐だろう。

「死ぬまで働け」という沙知代の声が聞こえる

もし野球をやっていなかったらどうなっていたのか。これほどまでに野球だけの自分には、野球のない人生など想像すらつかない。沙知代が亡くなってからは、なおさら野球が私の支えになっている。野球をしていたからこそ、この年齢になっても仕事がある。

毎日テレビをただぼーっと見ているだけでは、きっとすぐにボケてくるだろう。ときどき、「仕事をするのも疲れたな」と思っても、「死ぬまで働け」と繰り返し言っていた沙知代の声がどこからともなく聞こえてくる。

趣味や生き甲斐があるということは、なんと大切なことなのか。「野球しかない」と言えばそうなのだが、それが私にはちょうどよかった。職業でもあり、趣味でもあり、生き甲斐でもある、それが私にとっての野球だ。最期のときを迎える瞬間まで、きっと野球のことを考えているだろう。

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