ただし過去のパンデミックとは「違う条件」がある
経済状況がますます悪化し、先の見えない自粛を延々と強いられ続ける人びとのなかから、少しずつではあるがマインドセットを書き換える人が現れはじめた。これはおそらく私たち人類社会が「社会的終息」へと向かおうとする兆しを伝えるものである。「医学的終息」を目指す試みと、「社会的終息」を目指す行動はしばしば同時並行で起こるものだ。
だが、終息への道のりが順風満帆であるとはかぎらない。というのも、現代社会に登場したテクノロジーによって、これまで歴史が示してきたような「社会的終息」の到達が困難となる可能性もあるからだ。そのテクノロジーとは、もはや私たちにとって当たり前のコミュニケーション・インフラとなっているSNSのことだ。
「社会的終息」には必要不可欠である「マインドセットの書き換え」を、私たちにとってすでに身近な社会インフラのひとつとなったSNSが阻むかもしれない。
SNSで起きる「分断」が社会的終息を阻む
SNSのようなメディアでは「自粛するべきvs.自粛するべきでない」「ワクチンが開発されるvs.ワクチンの開発は無理」など、専門家でも意見が分かれるさまざまな意見をめぐって、ほぼ毎日のように果てしなき論争が繰り広げられる。また「イソジンでうがいをすればコロナを抑制できる」とか「次亜塩素酸噴霧器によって無毒化できる」などという、真偽不明の――あるいはデマのような――情報も錯綜する。
SNSは見知らぬ大勢の人びとの考えや意見を可視化し、お互いをつなぎやすくしたが、しかしそのせいで逆に、全員が同じような方向性へと「大同小異(やんわりとした合意)」を形成することがきわめて困難となっている。
「私たちの生活に新しい死のレパートリーが増えただけだ」と言われて、それで納得できる人もいれば「そんなことはあってはならない! すべての命が大事だ!」と反発する人もいる。両陣営ともそれなりの人数を抱えているし、双方のアカウントを通じて「分断構造」がこの社会にかつてないほど顕在化する。両者が一歩も譲らないまま今後もひたすらに膠着状態が続き「社会的終息」の道が頓挫してしまう可能性もある。
人類が文字どおり光速でコミュニケーションできるまで発展させてきた情報ネットワークが、皮肉にもこれまで私たちホモ・サピエンスが特異としてきた対パンデミック必勝法「社会的終息」を妨害してしまうかもしれない。
人類がかつてないほど情報技術を発展させた時代のパンデミックは、どのような結末を辿るのか――その答えを知るための人類史上初の実証実験で、私たちはいままさに被験者となっている最中である。