45歳で断酒究極の「仕事一途」

創業当初は、人が採れずに苦労した。75年、第一次石油危機後の不況で、多くの企業が採用を控えた。「こういうときなら、うちでも新卒が採れるだろう」と考え、会社説明会を開いてみた。30人くらいは来るだろうと椅子を30脚並べて待ったが、1人も来ない。翌年、ようやく5人を確保できたが、成長期にひどい人手不足が続く。

年が変わって、妻の父から「兵隊のときの経験では、早メシのやつが作業も早い」と聞き、採用試験を昼食付きにして、わざと早く食べにくい弁当を出してみた。すると、38人もやってきた。「15分以内に食べた学生を採用する」と決め、「昼食を、ゆっくり食べて下さい。試験は、その後にやります」と「ゆっくり」に力を込めて話したら、15分以内に食べ終わった応募者が26人もいた。その全員を採用した。

走るのが遅くても、途中で休まない学生を採る「マラソン試験」や、声の大きい学生を採る「大声試験」もやってみた。当たり前のことを当たり前にやる、約束したことはきちんとやる、そんな人間をみつけるための工夫だ。成績表などはみても仕方ないから、金庫にしまっていた。5年後に出して眺めると、やはり学校での成績と入社後の実績には何の関係もない。永守流に確信を持つ。

88年11月、大阪二部と京都の証券取引所に株式上場を果たす。44歳。普通は「創業から上場まで30年はかかる」と言われていた時代、2倍のスピード出世だった。祝い酒を、大いに飲んだ。

だが、9カ月後、45歳の誕生日に断酒する。ビールが好きで、毎晩、1ダース飲んでいた。でも、夜中にトイレで目がさめ、睡眠不足が続く。体重も88キロに増えた。「これは、あかん」。体調を整えるためには、酒をやめるのが早道。タバコは、もともと手にしない。極限まで「仕事一途」の日々に変わる。それ以来、冠婚葬祭のときも、一滴も飲まない。2004年4月に初孫が生まれたときも、祝い酒は抜いた。

いま、世界同時不況の影響で、M&Aへの売り物が、安くどんどん出てくる。経営内容が悪いから、選別は必要だが、大きなチャンスだ。そろそろ動き出そう、と考えている。2012年に目標を置いた「売上高1兆円」の達成は、みえてきた。次は、何を目標にするか。

「鍬(くわ)を持って耕しながら夢を見る人になろう」――日本電産が誕生したころ、神奈川県厚木市のソニーの工場に、こんなスローガンが掲げてあった。戦後の起業家の代表格である井深大まさる氏の言葉だ。人は鍬を手に畑に立つと、目の前の作業にばかり力が入り、先々のことまで頭が回らなくなりがちだ。目の前の収穫にとらわれすぎると、先細りになる。企業経営でも同じだ。でも、将来への夢を持てば、惰性に終わらず、様々なことに気づくようになる。そこにこそ、発展がある。

会社の新たな目標は「世界で50位に入る会社にしたい」と決めた。それには、売上高が10兆円は必要だ。その夢が、グループの人々にとって鍬を振る活力になってほしい。

3年前の暮れ、フランスの会社を買収した。これまでで最大規模のM&Aだ。同社は、自動車に載せるモーターや始動装置を手がけている。

実は、そこに「10兆円企業」への跳躍台がある。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)