骨折でみつけた人手の確保策

<strong>伊東信一郎●いとう・しんいちろう<br></strong>1950年、宮崎県生まれ。74年九州大学経済学部卒業、全日本空輸(ANA)入社。99年社長室事業計画部長、2001年人事部長、03年取締役営業推進本部副本部長兼マーケティング室長、04年常務、06年専務、07年副社長。09年4月より現職。
全日本空輸社長 伊東信一郎●いとう・しんいちろう
1950年、宮崎県生まれ。74年九州大学経済学部卒業、全日本空輸(ANA)入社。99年社長室事業計画部長、2001年人事部長、03年取締役営業推進本部副本部長兼マーケティング室長、04年常務、06年専務、07年副社長。09年4月より現職。

1995年秋、羽田にある東京空港支店まで、松葉杖を突いて通勤した。休日に、自宅近くで部下の車を呼び止めようと追いかけて転倒。大腿骨が折れた。44歳のときだった。

満員電車に乗るわけにもいかず、みんなより1時間から1時間半遅れて時差出勤を続けた。あるとき、羽田に着いて、気になる光景をみた。十数人の社員が、おしゃべりをしながら食堂へ消えていく。空港が朝、一番込み合うときで、カウンターには、順番を待つお客の列が長い。
「どういうことだ?」

空港支店に着任して数カ月。まだ事情がよくわからない。当時、バブル崩壊後の客足の落ち込みで、94年から3年間、カウンター要員の採用を止めていた。一方で、結婚を機に退職していく女性がまだ多い時代だった。だから彼女たちが所属する旅客部の課長から、何度も、人手不足を訴えられていた。

課長を呼んで、尋ねてみた。「何で、忙しい時間帯に、あんなに大勢が食事に行っているの? 食堂でもぺちゃくちゃしゃべっていて、すぐに職場に戻ろうという雰囲気がないぞ。人手不足と言っていながら、変じゃないか」

カウンター業務は、早番が始発の朝6時より前に配置に付き、交代で朝食に出る。ローテーションを組んでいるから、一時に集中するはずがない。課長は、そう説明した。

別に、詰問調ではない。いつもの穏やかな口調で話を終えた。ただ、その課長は、前号で触れた「ジャンボ機の深夜便」の件で、缶ビールの搭載可能数を間違えて報告し、調べ直して訂正した男だった。だから、同じ間違いをしたくないと思って、確認に走ったらしい。

結果は指摘した通り。ピーク時にもかかわらず、「遅い朝食」へ出ていた人数が14~15人もいた。それが、労使協定にはうたっていないが、ある種の「既得権」になっていた。課長は、すぐにローテーションを見直して、謝罪に現れた。

「やっぱり、そうだろう。ウフフ」

また、深追いはしない。鬼の首をとったような言葉は、口にしない。

「挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵」(其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和らげ、其の塵に同じうす:そのえいをくじき、そのふんをとき、そのひかりをやわらげ、そのじんにおなじうす)――『老子』にこんな言葉がある。人生を歩むときは、鋭いところは弱め、もつれた点は解きほぐし、輝くような才能はぼかし、塵と溶け合うように普通の人々と合わせなさい、という教えだ。鋭さを、ひけらかさない。伊東流は、この「和光同塵」そのものと言える。