不祥事芸能人をはじめから居なかったものにするのではなく、テレビから消し去る以外の方法も検討するべきだと思う。例えば、カットせず不祥事を起こした人物には報酬を辞退してもらって、慈善事業に寄付してもらうのも選択肢の一つだ。そうした明解な対応をすることで、テレビに対する根強い不信感も少しは減るのではないかと、私は思う。
一度の過ちでテレビの画面から葬り去るべきではない
本稿では最後に、視聴者のみなさんにも「不当に文化を葬り去らない」ためにいくつかのお願いしたい。まずは、「罪を憎んで人を憎まず」というが、芸能人のみならず過ちを犯してしまった人に立ち直りのチャンスを与えてあげてほしい、ということだ。1アウトを取られただけにもかかわらず、もう2度と打席に立てない。そんな社会でいったい誰が幸せになれるのだろうか。
そして、ぜひテレビ局をはじめ、様々なメディア企業に対して「出演者の不祥事で作品を葬り去ったり、改変したりしないでほしい」という要望の声を事あるごとにあげてほしい。
僕がテレビ局に入社したての90年代初頭には、テレビ局にかかってきた抗議の電話に対して、「嫌なら見ないでください」と答えている上司がいた。メディア職員の対応としてはこの対応は誤りだと言わざるを得ないが、そこには一抹の真理もあると思う。
自分が嫌な番組は、見なければいい。「この人は過ちを犯したから不快だ」と思うなら、見ないというのも一つの意思表明だ。見ない人が多ければ、その出演者はいずれ淘汰される。
しかし、豊かな社会と文化は、様々な人間の多様性を認めた上に成り立つものだ。「この人は過ちを犯したけれども、私はこの人が出演するテレビを見たい」という人が多ければ、その出演者に再びチャンスが巡ってくる。
そんな社会こそ、成熟した豊かな社会といえるのではないだろうか。