このように、不祥事芸能人が「消される基準」はバラエティの方が厳しい。逆に「許される基準」はドラマの方が厳しいのだ。もし、小出恵介さんが芸能活動を再開したとして、「あの人は今」的なバラエティに出演できる可能性はあり得るが、新撮のドラマにキャスティングされるのは難しいと思う。
順調に行ったとしてもバラエティ番組に徐々に出演を積み重ね、その先にようやくドラマ復帰となるのではないか。ドラマはいったん企画を走らせると修正しにくい。「なぜあの人を出すのか。もう許すのは早すぎるのではないか」と世論の反発を受けた場合に、ドラマの方がバラエティより対応しにくいので慎重にならざるを得ないのだ。
「罪の重さ」は関係ない
さて、説明しやすいのでずっと小出恵介さんを例に挙げさせてもらって恐縮だが、もう少し小出さんを例に、テレビが不祥事を起こした芸能人を消す基準とは何かを、別の側面から考えてみよう。それは、「果たして消される基準と罪の重さは関係するか」という問題だ。
小出さんは刑事では不起訴になっている。しかも、不祥事が発覚したのは2017年6月と、3年前のことだ。それでも芸能活動再開に批判の声があるという記事も目にする。
それに比べて、ピエール瀧さんのケースはどうだろう。昨年3月にコカインを使用したとして麻薬取締法違反で逮捕され、昨年6月には執行猶予付きの有罪判決を受けた。現時点でテレビへの復帰こそないものの、逮捕1年弱で映画の撮影に参加。所属する電気グルーヴの作品回収に反対する署名活動が広がり、多くの賛同を得るなど世間はとても同情的だ。
この差はいったい何なのか?
世間は芸能人の「薬物」と「賭博」には比較的寛容だ。これは「薬物と賭博には被害者がいない」からではないかと思う(実際には薬物を使用したり、賭博をすれば反社会的勢力に資金が提供されるわけだし、厳密な意味で被害者がいないわけではないのだが)。
犯罪よりも重く見られる倫理的な不祥事
つまり、私が思うに「罪の重さ」とテレビから「消す・消さない」は関係ない。もっと言えば「犯罪をしたかどうか」すら「消す・消さない」とは関係ないのだ。
基準となるのは、「誰かに迷惑をかけたか」とか「多くの視聴者が不快に思ったかどうか」という点だ。「犯罪や刑罰とは別の基準」を基に不祥事を起こした芸能人はテレビから消されているのではないだろうか。
許される基準も、「服役を終えた」「示談をした」「不起訴になった」といったものではなく、別の「もっと気分的な何か」が決めているように思える。だからこそ、実際に刑事事件を犯して罰されたものよりも、不倫や闇営業で反社会的勢力から報酬をもらったという、倫理的な問題にとどまる不祥事の方が、長期間にわたって消され続け、復帰が許されないという事態が起こるのではないかと思う。