言ってみれば、「視聴者が見たくない人物はテレビの画面から消す」という単純な話になってしまうわけである。テレビはマスメディアだから、視聴者が見たくない人物がテレビに出演できないのはある意味当然だ。しかし、ここがこの業界の闇深いところでもある。

世間の空気が決める「消す基準」「許される基準」

私が「闇が深い」と考えるのには理由はある。それは、「視聴者の見たくない人物」を誰がどのように決めているのか不明確だからだ。乱暴に言ってしまえば、「メディアに関わるオジサンたちがみんなで忖度」して、「視聴者が見たくない人物」が誰なのかをなんとなく決めてしまっているという状況にあるということだ。

だから私は、むしろはっきりと「テレビから消す基準」と「許す基準」をはじめから明文で決めた方がいいと思う。この文章の最初の方に書いた「誰にも基準が分からない」ということが一番の問題なのだ。

スポンサーサイドの偉いオジサンと、テレビ局の偉いオジサンと、芸能事務所の偉いオジサンが額を寄せ合って、世間の空気を忖度し、「まあこのくらいまでなら許容範囲で、このあたりからアウトでしょう」と曖昧にケースバイケースで決めてしまう。だから若い人の考え方や、世間一般の人たちの気持ちとは温度感がしばしばズレてしまい、「テレビの対応がおかしい」という非難の声が起こるのだという気がしてならない。

視聴者の多くは、不祥事を起こした人物にしばらくテレビの仕事をさせないことは当然のことと受け入れていると思う。しかし、「不祥事を起こした人物が過去にした仕事」をすべて抹消することまでは望んでいないのではなかろうか。

再放送が望まれる過去の名作ドラマや名作バラエティに、不祥事を起こした芸能人が出演しているからといって再放送をしないとか、その人物をカットして編集し直すとかいうのは、明らかにやりすぎなのではないかと思う。

作品をお蔵入りさせても正義は実現できない

過去を振り返れば、昭和の大物俳優には不祥事を起こす人が今よりも多かったと思うが、その名優たちが出演した作品まで封印することはしてこなかった。そういう意味では、年々テレビから不祥事芸能人を「消す」基準はどんどん厳しくなってきている。

昔よりコンプライアンスという考え方が広がり、テレビ局も上場企業になったところも多く、「おおらか」な対応ができなくなっていることもあるだろう。しかし、曖昧な基準で「世の中の空気に忖度」してテレビから葬り去れば、コンプライアンスを遵守したことになるわけではない。

不祥事を起こした芸能人が過去に出演した作品に罪はない。ましてや何の落ち度もない共演者や制作スタッフが煽りを喰らって、心血を注いで作った作品が「2度と日の目を見ない」ようになることが、正義の実現とは思えない。

テレビ局側は、まず明確な基準を設けて作品を公開し、非公開や再編集をするなら、その理由を明らかにするべきだ。