シングル介護の限界

きょうだいの中で世話をする者が自分以外にいない母親が要介護3の認定を受けた時、山口さんは勤めている東京の会社を休職し、栃木県内に中古でマンションを買って介護に専念することを決意した。

以来、床の張り替えや家具・家電の購入、管理人へのあいさつや駐車場探しなどをこなしながら、役所との連絡調整や面談、新しい自治体でのケアマネ探し、さらに、母方の祖父母宅や森林を母名義に変える手続きや、祖父母宅と森林の管理なども、たった一人でおこなってきた。

雑務をこなし、帰宅をすれば、母親の食事の支度や洗濯などの家事が待っている。そうやって同居介護を始めて半年ほどたった頃、山口さんは交通事故を起こしてしまった。

「たぶん介護疲れが蓄積していたんだと思います。人生初の交通事故も精神的にショックでしたが、相手方の運転手の父親だという人物がやってきて、こちらが非を認めているにもかかわらず、ひどく罵倒されました。相手の運転手に対して『成人してまで親に頼るなよ』とあきれる気持ちと、『自分は家族の誰にも頼れないのに……』という嫉妬みたいな感情がごちゃまぜになって、苦しくなりました」

相手にケガはなく、警察や保険会社と連絡を取って事後処理を終えたが、山口さんの心は大きく揺さぶられた。

「『95%はお前がやっているのは認めるが、残りの5%は俺にしかできない』とよく兄は言いますが、実際その通りです。私がどんなに家族のことを考えてベストな選択をして動いても、どうしても兄の力が必要になる。それは、他の家族は(実質的な家長である)兄の言うことしか聞かないからです。家族内カースト最底辺である私一人では、母に対して100%のサポートはできないんです」

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「あなたの働きは5%にも満たない」兄は激昂し、絶縁状態に

以前のような横暴さはなくなった兄だが、山口さんがメールを送ってもろくに返信せず、電話をしても出ないことが多い。肝心なときに頼りにならない兄に嫌気が差し、ついに山口さんは、「あなたの働きは5%にも満たない」と言い放った。それを聞いた兄は激昂し、絶縁状態になってしまった。

「家族で唯一話が通じる人だと思っていましたが、相変わらず取り付く島がなく、『私に頼れる家族はいない』という現実を思い知りました。本当に孤独でした……」

山口さんは母親がデイサービスに行っている間などに、母方の祖父母の家の裏山に入り、ジャングル状態の草木を刈りながら、大声で叫んだり泣いたりした。

「母と一緒に死ぬ夢を何度も見ました。車で転落死したり、火事で焼死したり、津波に流されたり。私が家族を殺して血まみれになる夢も数え切れないほど見ました。『自分が死ねば、いろいろ解決するんじゃないかな』とぼんやり思うこともあります。私が死ねば保険金が入るだけでなく、母の介護をする人が不在となり、要介護3なら施設入居も可能になりますから」