ヨーロッパと中国で同時に起きた農民反乱

フランスでは1358年ジャックリーの乱、イギリスでは1381年ワット=タイラーの乱と呼ばれる農民反乱が発生しました。どちらもペスト禍による農村人口の激減や社会不安などが背景にありました。

それまでの中世の農村(荘園)では、領主がいわば君主のように絶対権力をふるっていましたが、農民の多くがペストで死ぬと立場が逆転し始めます。労働人口の激減は、逆に農民の地位を引き上げる結果となり、西欧社会は農奴解放へと向かっていきました。

中国でも、西欧とほぼ同時期に農民反乱が起きていました。1351~66年まで紅巾こうきんの乱と呼ばれる反乱が発生し、げん朝を滅亡へと追いやったのです。

『ヨコで読む大人の世界史』(KADOKAWA)より

これは、フランスにおけるジャックリーの乱と完全に時期が重なります。しかも、背景に自然災害やそれに対する元朝の無策など、社会不安があったのも同様でした。

経済的繁栄と感染症は「コインの裏表」

さて、モンゴルが謎の感染症、つまりペスト菌が眠っていたとされる中国南部を征服して東欧に進出した頃、西欧では東方植民による森林開拓が進んでいたわけですが、結果、ユーラシア大陸の一体化が完成し、経済的にも大きな盛り上がりを見せました。

しかし、こうしたユーラシア大陸の一体化はもろ刃の剣でした。皮肉にも、中国南部で発生したペスト菌は、またたく間に西欧を襲う結果となったのです。

ユーラシア大陸の一体化は空前の経済的繁栄を生んだが、連鎖的に、感染症の同時多発につながる危険性も生んだ。いわば「コインの表裏の関係」と同じです。

「人類の経済的繁栄」という“表”を取れば、「感染症による大量死」という“裏”も必ずついてくる――新型コロナウイルスが現にパンデミックとなってしまっている今、世界各国は特に経済において厳しい局面を迎えており、各国それぞれが難しい選択を迫られているのは言うまでもありません。

でもそれは、マクロの視点では、人類が経済的発展の道を歩んできたことの裏返しとも言え、14世紀にヨーロッパを苦しめたペスト大流行に至るまでの過程(経済的繁栄→環境破壊→感染症の拡散)に見る「負のつながり」は、現代になってもなお“不変の法則”と呼べると思います。

しかも、かつての西欧や中国では“アフターペスト”の社会不安を背景に反乱も発生しています。今を生き、自分自身や家庭、そして一国のふところを支えている立場としての私たちは、「表があれば裏もある」、物事を進めていくにあたっては、いつもこのことをしっかり認識しておかなければなりません。

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