「スペインかぜ」は第1波、第3波より、第2波が大きかった

第一の報告書:感染対策の有効性

スペイン・インフルエンザには、三つの山があった(※)。CDC(アメリカ疾病予防管理センター)委託の報告書(2007年8月)は、このうちの第二の山と第三の山(最初の2カ月)を中心に24週間(1918年9月8日~1919年2月22日)にわたり、米国の43の都市において取られた非医薬的措置について、当時の大量のデータを用いて検証した。

※パンデミックのピークの第1波は1918年6~7月、第2波は同年9~12月、第3波は1919年1~4月。

図表=『コロナの衝撃 感染爆発で世界はどうなる?』より

そこでは、致死率や感染率の都市間の違いに注目し、各都市が取った措置のタイミング・期間・組み合わせから年齢・性別の分布や人口の規模・密度までを分析し、都市毎の対応の違いや変化とパンデミックの因果関係を明らかにしている。

ちなみに、非医薬的措置とは、「社会的距離(social distancing)」を置く措置、及び、感染者の隔離や感染者と接触が疑われる人の検疫を指す。報告書では三つの主要なカテゴリーとして、❶学校閉鎖、❷人の集まりの取り止め、❸隔離・検疫を取り上げている。

報告書によれば、43都市すべてが三つの措置のうち少なくとも一つを実施した。3都市が三つすべて(実施期間の中間値は4週間)を実施し、34都市が❶と❷を実施した。これら以外の措置を取った都市もあり、例えば、サンフランシスコは、マスク着用を義務付け、違反者には罰金刑(さらには禁固刑)を課した。

成否のカギは、措置のタイミング・期間・組み合わせにある。報告書は、「早期の、持続した、多層的」措置の適用が感染ダメージを和らげたと結論付けている。その一つの都市がセントルイスであり、他の都市のような感染流行が起きなかった。

中国の危機を対岸の火事と見た多くの欧米先進諸国

100年後、中国は❶~❸すべてを強制的に実施したが、他の諸国では対応が分かれた。

中国の危機を対岸の火事と見た多くの欧米先進諸国が初動で遅れ、未曾有の危機に見舞われることになった。中でも、好調な経済を大不況に陥れた米国の迷走振りは目立った。

日本は、強権規制モデルの中国と自由主義(レッセ・フェール)モデルの米国との間の中間的モデルとして、民度が高い国民の公共意識に支えられる要請ベースの措置が取られてきた。隣国との戦争リスクに直面してきた台湾、韓国、ベトナムは政府の強い介入によって感染拡大に歯止めをかけ、成功モデルとなった。一方、途上国は、感染対策を取ろうにも、必要なインフラ・物資を欠く上、外出・移動禁止は即、経済危機につながるという八方塞がりの状態だ。

2006年1月のWHO報告書においても、多くの国からの報告として示されているように、最も厳しい措置を取ったとしても、パンデミックそのものを止めることはできない。あくまでも、ワクチン・治療薬開発までの間の対症療法ではあるが、感染者数や死亡者数を減らすことはできる。

問題は、命を救うはずの感染対策が長期化することによって企業や労働者の生存を脅かすことである。

そこで出てくるのが、極端な移動制限や国境封鎖などによって感染を抑え込もうとせず、ウイルスの自然な拡散によって「集団免疫」を獲得すればよいとの主張である。テキサス州副知事の提案(※)もこの部類に入るだろう。

※2020年3月、「誰も高齢者の私に尋ねはしないが、もし自分の命と引き換えに、私たちの子供や孫のために私たちが愛するアメリカを維持することに賭けるか、と言われれば、私はそれに賛成する。……国を犠牲にするな!……仕事に戻ろう。そして、70歳以上の者は自分の健康に注意しよう」と発言。

これは、ワクチンの集団接種を前提とする集団免疫本来の概念とは異なり、無発症の感染者が多数いることを前提に組み立てられた自由放任・強者生存の論理である。死者の急増や医療の崩壊を招きかねず、容易に採用できる政策ではないが、そんな政策を取っていると見られているのがスウェーデンである。死亡者数は群を抜いて多く、他の北欧諸国の10倍以上に上る。同国の多くの研究者から「集団免疫」戦略への疑義が呈されており、福祉国家が高齢者より経済を支える若者を優先していることへの揶揄やゆの声もある。

また、大規模な抗体検査を行って、免疫(抗体)を持つ人を探し出せば、パンデミック終息前でも、積極的に働いてもらえるという主張もある。しかし、いずれも決定打とはなっていない。

この「厄介な問題」について、もう一つの報告書を開いてみよう。