「出費を最小限に抑えるために、参考書は各教科一冊と決めました。それに、東大の入試は教科書の範囲からしか出ません。参考書は教科書の内容を頭に定着させるためのもので、そういう意味でも一冊をとことん使い倒すというのは、理にかなっていたのです」

では参考書はどうやって選んだのか。

「信頼できて、なおかつ自分に合っているというのが基準です。数学ならいわゆる『青チャート』と呼ばれるもの。何版も重ねて毎年一定数売れていて、信頼できました。網羅している量が多すぎるといって敬遠する人もいますが、僕の場合は東大合格に必要な数学の力が穴だらけだったので、それをふさぐためにもこの参考書を選びました」

おまけに布施川さんは参考書を中古で揃え、全科目合わせても2000円かからなかった。そして、勉強の効率化に関しても布施川さんの取り組みはユニークだった。

「効率を上げるには無駄を省くにかぎります。わからない問題を前に悩んでいる時間もその1つ。数学なら3分間考えて答えが出せなければ、すぐに解答と解説を見て頭に入れました。入試問題には絶対に答えがあり、そこにいかに早く正確にたどりつけるかを計るのが受験の本質だからです」

この勉強法で布施川さんは、1年の浪人を経て見事に東大に合格した。なお、浪人時代には予備校にも通ったが、その費用は週3日のアルバイトでまかない、足りない分は親が借金して工面してくれたというから泣ける。

予備校通いよりも効率的な宅浪

もう1人取材に応じてくれたのが経済学部4年生の永見琉輝さんで、非進学校出身の東大生が同様の環境下で東大を目指す受験生を支援する「東京大学フロンティアランナーズ(UTFR)」というサークルに所属している。前出の布施川さんもメンバーの1人だ。

「小学2年生のときに両親が離婚してから、ずっと母親との二人暮らしです。家計に余裕はなく、習い事をした記憶もありません。高校は近所にある私立高校の特進コースに、学費免除の特待生で入りました」

このあたりの状況も布施川さんと似ている。入学早々卓球部に所属するも、運動はあまり得意ではなかったため熱が入らない。2年生の6月で退部し、そこから勉強に力を入れ始める。

「母親は私の自主性を重んじてくれていましたが、『大学に行くなら国立』といわれていたこともあり、最初は横浜国立大学を目標にしていました。ただし、他の生徒はみなAO(アドミッション・オフィス)や推薦で楽に大学に入ることを目指しており、休み時間にも教科書を開いて勉強していた自分は、クラスではかなり浮いた存在でした」

努力の成果はやがて成績に表れる。8月に受けた大手予備校の模試で平均偏差値60を突破。翌年1月のセンター試験同日模試では、東大合格者の同時期の点数とわずか90点差だった。この結果に自信をもった永見さんは、志望校を横国から東大に変更することを担任に報告する。ところが、担任からは予想外の言葉が返ってきた。