配慮の足りない緊縮政策は死者を増やすだけ

わたしたち現代人はいつの間にか大事なことを忘れてしまっていないだろうか? 負債も財源も経済成長も重要である。だが「あなたにとって最も大切なものは?」と訊かれて、ポケットから財布を取り出す人はいないし、自宅の増築だの高級車だのアップルの最新機器だのの話をする人もいないだろう。この問いのような調査は繰り返し行われているが、いつも結果は同じである。誰もが最も大切に思っているのは自分や家族の健康だ。

デヴィッド・スタックラー、サンジェイ・バス『経済政策で人は死ぬか?』(草思社)

だとすれば、わたしたちの論点を「ボディ・エコノミック」という言葉でくくってもいいかもしれない。これはわたしたちの造語だが、要するに国の経済を体に見立てて、その健康を管理するという考え方である(もちろん国民一人一人の健康も含めて)。なにしろ経済政策の選択はわたしたちの健康に、ひいては命に、甚大な影響を与えるのだから。

医薬品の審査はあれだけ厳しいのに、なぜ経済政策の人体への影響は審査しないのだろうか。同等の厳しい審査があってしかるべきではないだろうか。ある経済政策が人体にとって安全で効果的だとわかれば、それはすなわち、より安全で健康的な社会を作れるということである。

だが現状ではそうした審査が行われていないため、安全な経済政策ではなく危険な経済政策が横行している。配慮の足りない緊縮政策を断行することは、危険な薬の臨床試験を堂々と行うようなものであり、そんなことを続ければただ意味もなく死者が増えるばかりである。

緊縮政策の代価は人命である。そのあとでめでたく株価が元に戻ろうとも、失われた命は二度と戻らない。

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