目標の達成を優先するあまり、強引に突き進む安倍政権
朝日社説を読み進めてみよう。
「最大の課題がコロナ禍の収束であるのは言うまでもない。首相がいう『最高のコンディション』『安全で安心な大会』を実現する大前提である。日本はもちろん、全世界でこの問題が解消していなければ開催はおぼつかない。国内対策の推進とあわせ、開催国としてどのような貢献ができるか、しなければならないか、政府は検討し、実践していく必要がある」
「コロナ禍の収束」とある。もちろん、「禍」とは現在の異常な状況を指す。やはり朝日社説は社会の事態や混乱が収まるという意味で「収束」の言葉を使っている。
全世界でコロナ禍を収束させるために、安倍政権の力が試される。緊急事態宣言などという伝家の宝刀に頼るようでは、世界中の国々から足元を見られる。
朝日社説は「この国では、目標の達成を優先するあまり、正当な疑問や異論も抑えつけ、強引に突き進む光景をしばしば目にする。そのやり方はもはや通用しない。情報の開示―丁寧な説明―納得・合意の過程が不可欠だ」とも指摘する。その元凶は「アベ1強」だろう。
人間の力で新型コロナウイルスを「収束」させられるか
次に産経新聞の社説(主張、3月26日付)を見てみよう。朝日社説とは違い、大きな1本社説だ。主見出しは「東京五輪延期 日本は成功に責任を負う まず感染の収束に力を尽くせ」である。
ここで気になるのは、「感染症の収束」という使い方だ。本文中でもこう使っている。
「まず力を尽くすべきは、感染拡大の収束である。国内では政府の専門家会議が爆発的に患者が急増する『オーバーシュート』の懸念を示しており、五輪開催地の東京でも感染者が増え続けている。感染拡大との戦いは、国民の協力を抜きには成り立たない」
「1年を経ても世界的流行が収束していなければ、五輪を開催することはできない。治療薬やワクチンの開発に向けても、日本がリードすることが求められる」
ご覧のように産経社説は「感染拡大の収束」「世界的流行が収束」と書いているが、本来は前述したように感染症に関するものだから「終息」を使うべきではないか。産経社説の収束の使い方は、間違っていないか。
国語学の専門家に聞くと、これまで新聞記事では感染症には「終息」を使用してきた。ところが最近、新型コロナウイルスに対して「収束」を使う記事がある。なぜか。人間の力で新型コロナウイルスを何とかしようという意味を訴えるために、あえて「収束」の言葉を使っているようだ。一方で自然とウイルスが消えていくという意味で使う場合は「終息」を使う。ただし「収束」と「終息」はともにグレーゾーンの広い言葉で、専門家も頭を悩ませているという。
収束と終息、いずれを使うにせよ、過剰な反応だけは収束させたいし、終わってもらいたい。