アウトプットできるような歴史の学び方がある
この「なぜ?」を突きつめていく。腹落ちするまで「なぜ・なぜ・なぜ?」と芋づる式につなげていく。そうすると1つの物語になります。ストーリーになれば記憶に定着し、忘れません。年号を漫然と覚えるだけでは、何も頭に入ってこないし、使える知識にならない。アウトプットできるような歴史の学び方があるのです。
仏教伝来もそうですが、「日本史」というのは単独では存在しません。必ず「世界」とのつながりがあります。ですから、日本史を学ぶには同時に世界史もセットで勉強するのが大切なポイントです。
米国人のペリーが黒船で日本に来航したのは1853年です。教科書では捕鯨船の燃料や食料などの補給がその目的だったと習います。しかし、その頃の日本は江戸時代で200年超も鎖国をしていた。そこになぜ突然やって来たのか。当時の米国は中国市場をめぐって英国と争っていました。自国の商品を売るためです。競争力を高めるために米国は大西洋・インド洋経由ではなく、中国に最短距離で行くために太平洋航路を開く必要があった。日本に立ち寄って物資を補給し、上海や広東に行くのが最も便利で早かったので、日本に開国を迫ったわけです。
このように世界史の中で日本を見るときのキーワードになるのが「交易」です。人と人とが交流するのは、商売やバーター取引が基本だからです。交易の観点で考えると、歴史の疑問はほとんど答えが見つかります。
たとえば、鉄砲の伝来です。鉄砲は1543年に種子島に漂着したポルトガル人が伝えたと教科書で習いますが、そのポルトガル人が乗っていた船は倭寇(海民の共和国)の頭領、王直の所有する船だったことがわかっています。「なぜポルトガル人が倭寇の船に?」と不思議に思いますよね。彼らはキリスト教の宣教師や商人たちで、船でアジアにやって来て、倭寇と遭遇した。
倭寇はポルトガル人が持っていた鉄砲に目をつけ、日本に売り込もうと目論んだのです。当時の日本は戦国時代ですから、最新の武器を喜んで買うはずだと。そこでポルトガル人に話を持ちかけ、日本に連れて行った。ポルトガル人には日本に鉄砲を売る理由がそれほどなかったし、日本への海路など知りません。鉄砲を伝えたのは、実は倭寇なのです。
いかがですか。日本史と世界史を一緒に、そして「なぜ?」と考えながら学ぶことで腹に落ち、理解が深まることが実感できたのではないでしょうか。歴史の入門書としておすすめの本を別掲しました。参考にしてください。