医療現場の切実な認識「人は軽症でも治療を求める」

今、政治家・トップがやらなければならない判断は、「今の自国の医療機関の対応能力」を考えた上で、検査はどこまでやるべきなのかというものである。メディアや国民から「もっと検査をやってくれ!」という声が上がろうが、今の医療機関の対応能力を超えるほどの検査を行ってはならない。これが政治家・トップの全体を見渡した総合判断というものである。

この点、次のような意見がある。

「とにかくPCR検査をどんどんやって、陽性か陰性かを確定すべきだ。そして陽性でも無症状だったり、軽症だったりした人は自宅で療養してもらえばいい。国民は、自分が陽性か陰性かわからないから不安になる。陽性だとわかれば、他人に感染しないように注意をすることができるのだから、検査をやった方がいい」というものだ。

しかし、このような意見には重大な認識の欠如がある。それは「人間は陽性反応が出ると、たとえ軽症であっても医療機関に対応を求めてくるものだ」という医療現場の切実な認識についてだ。

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これは今回の新型コロナウイルス問題でわかったことではなく、過去ありとあらゆる領域で似たような問題は生じている。人間は、多少でもマイナスの評価を下された場合、じっとしていられないものだ。これは技術や文明が発達した社会に住む人間であればなおさらのことだ。

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残念だが、検査拡大を主張するテレビのコメンテーターたちは、このような現実を知らない。

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ここで問題なのは、現状では、無症状者にはもちろん軽症者に対しても、特段の治療方法や治療薬があるわけではなく、医療機関としては通常の風邪と同じ対応をするくらいしかやりようがないということだ。そうであれば、無症状や軽症の場合には、通常の風邪対応と同じように自宅で療養してもらっていた方がいい。医療機関の負担を軽減でき、重症者に対応するための余裕が確保できるからだ。

また、このような無症状や軽症の陽性反応者が病院に殺到してくると、院内感染のリスクが高まる。病院には高齢者や基礎疾患を持っている患者が多い。新型コロナウイルスがこのような人たちを重症化するということは専門家の統一された見解であり、陽性反応者が病院に殺到すると死亡者数を増加させるリスクが著しく高まるのだ。

希望者全員に検査をやらないというやり方に対しては、無症状者や軽症者が、自分が陽性だとわからずに他人にうつしてしまうのではないか、という反論があるだろう。

ゆえに最後は総合判断だ。他人にうつしてしまうリスクと、医療崩壊を招いてしまうリスク。どちらをより回避すべきで、そのためにはどちらのリスクを引き受けるべきか。

こうした総合判断をするための「前提」では、専門家の意見が重要になる。無症状者や軽症者の感染力はどの程度のものか。軽症者は何日くらいで回復しているのか。

そうした意見を得た上で、「とにかく重症者を救うために、命を救うために医療現場の余裕を確保する。医療崩壊を絶対に招かないようにすることを絶対的な目標としてそれを死守する。そのためには今は、無症状者、軽症者に多少の我慢を求める」というのが、政治家・トップの総合判断、総合マネジメントである。

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