読者が思うほど、世の中のことを考えているわけじゃない

——執筆はスムーズに進みましたか。

正直、すごく苦戦しました。その最大の理由は、やはりサブカルチャーの固有名詞を使わないと決めたこと。これまではサブカルチャーへの愛が書く動機にあったので、たとえ40万字書いても全く苦にならなかった。ところが今回はその駆動力がないので苦戦しました。

ただ、そういう経験を通過することで、今までは自分の書きたいことを書いてきた僕が、ここまでついてきてくれた読者にも、そしてもっと大きな意味での社会に対しても、これまでとはまったく違うレベルで初めて応答できたと感じた。こういう仕事も自分の人生にあっていいと思えたし、書き上げたときの手応えはすごくありました。

撮影=プレジデントオンライン編集部

——「初めて応答できた」とはどういう意味でしょうか。

僕、純粋にうれしかったんですよ。もともと自分はアニメや特撮が好きなオタクで、部屋でずっと本を読んだり、模型を作ったりしているのが一番幸せという人間です。読者が思ってくれているほど世の中のことを考えているわけじゃない。そんな僕の試みに期待してくれる人がいることを、すごくありがたいと感じるようになりました。だからその期待を2倍や3倍で打ち返すことが、もっと面白いことをやるためのブレークスルーになるんじゃないかと考えるようになったんです。

思想家の吉本隆明と「ほぼ日」の糸井重里を取り上げた理由

以前の僕は、来た球を打ち返す仕事は「どぶさらい」のようなものだと思っていました。テレビのワイドショーに出て、「こんなものを見ているとバカになる」というメタメッセージを視聴者に発信して、そのたびに炎上する。でも今飛んできている球は、僕がこれまでやって来た仕事に対する評価として膨らんだ期待ですから、とてもポジティブな気持ちでいられる。今回の本の執筆は、球を打ち返すのが苦痛ではなかった初めての仕事という言い方もできます。

——今回の著書では、思想家の吉本隆明さんと「ほぼ日」の糸井重里さんのお二人が取り上げられています。宇野さんのこれまでの著作にはない切り口です。

吉本隆明には10年ほど前から関心がありました。吉本にはいろいろと問題もあります。特に90年代後半以降、彼は晩節を汚すと表現されても仕方ないような行動もとったと思うし、テキストも日本語としては破綻しているものが多い。

ただ僕は、それとは別の次元で吉本隆明という人間に興味があった。それは要するに、吉本隆明という思想家というか、詩人の着想の素晴らしさに尽きると思います。その着想を具体的に展開する能力を欠いていた傾向はあるけれど、着想の素晴らしさは評価するべきと考えています。

僕がこの本で吉本隆明と糸井重里を取り上げたのは、この二人が生み出したものが、よくも悪くも日本の戦後社会を規定してしまったと考えているからです。