「論壇」から離れないと、ポジティブなものは残せない

——その継承の手段が、「遅いインターネット」計画ということですね。

僕が糸井さんと同等の仕事ができるなんてまったく思っていませんが、これから「遅いインターネット」のような小さな運動があちこちで起こっていけばいいなと考えています。インディペンデントなメディアがそれぞれのやり方で世の中との距離感を探りつつ、ユーザーは自分でどれに参加するかを選べる状況になっていけばいいなと。

メディアとは、個人が情報に対する「距離感」や「進入角度」を試行錯誤するための回路であるべきだというのが僕の考えです。今はどんなニュースもヤフーやグーグルといったプラットフォームで配信され、どのメディアを選んでも大して情報との向き合い方は変わらない。でも僕は、「自分はこのメディアをよく読んでいる」という選択が、世の中との距離感や進入角度の調整につながることをやってみたかったということです。

——今回の著書は、メディアのあり方についても強く再考を促しています。

この国の言論やジャーナリズムは、先に指摘した通り問題そのものを問う力を失っているんです。マスメディアは炎上している人を魚にいじめ大喜利をしているだけだし、そんなテレビや週刊誌に対抗するはずのネット言論やイベントではその場にいない人の陰口をみんなで言って、あいつらはダメで自分たちは最高だと盛り上がって自分を慰めている。結局やっていることは同じなんですよね。閉じた相互評価のネットワークでのポイント稼ぎをしているという点では。どちらも「飲みニケーション」での陰湿な欠席裁判みたいなものに大義身分がついているだけです。

だから問題についての人間関係ではなく、問題そのものを語る場を作り直さないと何もポジティブなものは残せないという思いがあります。

この国の言論空間は問題そのものを論じる力を失ってしまった。僕が「遅いインターネット」計画という小さな運動をひっそりと始めたのは、メディアが失ったものを取り戻すためでもあるんです。

(構成=塚田 有香)
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