ジャニーズ事務所最大の事件「中森明菜自殺未遂」
近くに目を転じれば、ジャニーズ事務所最大の事件といわれる「中森明菜自殺未遂」がある。
1989年7月11日、六本木の自宅に帰ったジャニーズ事務所所属のアイドル・近藤真彦(当時25歳)は、当時「親密交際」していた歌手の中森明菜(当時23歳)がバスルームで血を流し倒れているのを発見した。
明菜の傷は、左肘内側に深さ2センチ、長さ8センチの神経に達するほどの重傷だったという。救急車で運ばれた慈恵医大病院で6時間にもおよぶ緊急手術が行われ、命に別状はなかった。
人気絶頂だった2人に何があったのか、一般紙も含めた多くのメディアは血眼になって詮索した。
近藤と明菜は、テレビや雑誌などで何度も共演しており、2人の仲は公然の秘密であった。
その当時の報道によると、すぐにでも結婚したい明菜と、結婚は30からと考えていた近藤との意識のズレがあったのではないかという見方が多かったようだ。
また、その年の2月に、『フライデー』が、近藤と松田聖子との「密会」を報じたことが、明菜にショックを与えたのではないかともいわれた。
だが私は別の理由があったと考える。
なぜ復帰会見に「金屏風」が置いてあったのか
田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」をつくって一世を風靡し、その後ソロデビューも果たした近藤は、事務所にとって絶対欠かせないドル箱アイドルだった。
その近藤が、中森明菜と結婚することを、事務所側が許すはずはなかった。
それを知っていた明菜は、近藤と事務所への“抗議”の意味で、自殺を図ったのではないだろうか。
それは、事件から半年後の12月31日に行われた中森明菜の「復帰記者会見」に表れていたのではないかと、私は思っている。
彼女のトレードマークだったロングヘアを切ってショートにし、「皆さんにご迷惑をおかけしたことを深くおわび申し上げます……」と涙ながらに謝罪した。
途中から同席した近藤は、明菜のことを気遣いもせず、明菜との結婚について聞かれると、「まったくありません」といってのけたのである。
2人の背後には、おめでたいときに飾られる「金屏風」が置いてあったことが物議を醸した。明菜は、「近藤が結婚すると言ってくれるから」と言われて、連れてこられたのではないか。
事務所側が、近藤に因果を含めて、「明菜との結婚はない」と報道陣の前で言わせたのではないか。
さまざまな推測が飛び交ったが、いまだに真相は闇の中ではあるが、これだけは言えると思う。ジャニーズ事務所は、稼いでいるタレントが結婚することを絶対許さないということである。
唯一といってもいい例外は、木村拓哉と工藤静香の結婚であった。