「どーせやるなら」と宝探しのように考える
あのトイレの出来事から20年ほど経った。平社員から管理職になれば状況は好転するかと思いきや、管理職になれば管理職のやりたくないがやらなきゃいけないことが僕を追ってきている。ただ、どうしても対峙しなければならないときは、「どーせやるなら」と考えるようにしている。
もちろん、どーせやるならと考えてみたところで全部が有意義なものになるわけじゃない。バカ上司の自慢を聞かされるだけの飲み会から得られるものはない。ただ、皆無でもない。1万回に1回くらいは、ためになるものは転がっている。言ってみれば宝探しである。
僕は今、転職を重ねて食品業界に身を置いている。きっかけになったのは、参加したくなかった異業種名刺交換会に「どーせ参加するなら」という心構えで顔を出して、ヤケクソ気味に「名刺いかっすかー」「名刺いかっすかー」と行商ライクに名刺を配り歩いたすえに、同じ年齢の食品メーカー営業マンと出会ったことである。
このような場に参加して、「違う世界で頑張っている同年代の人からエネルギーをもらいましたー」というエピソードを手に入れる人は幸せだ。僕は不幸であった。その食品メーカー営業マンは当時僕が身を置いていた運輸運送業界をこき下ろしたのである。
「キミたちの会社は何かを生み出しているわけじゃない。運んでいるだけだ。価値観を生んでいると言いたいのかい? 価値観を持ち出すのは何も生んでいない証拠だぜ」と彼は言ったのだ。
ゴミカスの集積がその後の人生に影響を与えることもありうる
僕は激怒した。図星のピンポン大正解だったからだ。何もつくっていないから、運んでいるんじゃボケが。熱くなったのは「どーせやるなら」スタンスがあったからである。どーせ会いたくない人たちに名刺を配るのなら成果のひとつやふたつをゲットしてやるという気概があったのだ。
このようなアホな言葉を吐く人間でも在籍できる食品業界ならば、僕でもそこそこいけるのではないか。転職する機会があったら食品業界を第1候補にしようと心に決めた。
このアホと知り合ったのも、何かの縁。僕は「モノをプロダクトするっていうのはさすがだなー」「いやあ、魚肉ソーセージ製造がそこまでクリエイティブな仕事だとは知らなかったよ。いやはや参った。今後、弊社は魚肉ソーセージを金塊だと思って運ぶようにするよ」とヨイショした。
アホは気をよくして食品業界の人たちに僕を紹介してくれた。そのとき交換した名刺が数年後転職する際に役に立つことはなかった。
それでも、僕は食品業界へ転職した。あの異業種名刺交換会で食品業界というキーワードが僕の意識に刻まれていたからである。つまり「どーせやるなら」の心構えがなかったら食品業界の僕はいない。
心構えひとつで得られるものはゴミカスみたいなものだ。だが、そのゴミカスの集積がその後の人生に影響を与えることもありうるのだ。微々たるものを集めるのは、砂金を集めるようなもの。でも目を皿のようにしなければ砂金は見つけられない。何事からでも得ようとするスタンスがなければ何も得られないのだ。