思えば原監督は、前政権時もよく初回からクリーンアップにバントをさせていた。クリーンアップとは、チームで最も信頼されているバッター3人ではなかったか。あるときは初回、無死一、二塁から3番バッターに送りバントを命じた。何のためのクリーンアップなのか。何のために打順があるのか。

初回にランナーを出したのに、怖いバッターがみすみすアウトを1個献上してくれたなら、相手はむしろ「ありがとう」と言いたくなるだろう。

ピッチャー継投も、早めならすべていいというわけではない。よく言う「早め早めの継投」は、迷信に近いと私は思う。

ピッチャー交代の条件は、①信頼度、②疲労度、③バッターとの相性、④コンディション、⑤リリーフとの力関係、⑥アクシデント。

このどれにも当てはまらない交代は、相手を助けるだけではないか。

キャンプ期から植え付けてこそ成功する

攻撃でも、それはほぼ変わらない。監督になりたてのころは、ランナーが出て何もしないと監督として無能だと言われはしないかと意識過剰になり、ついつい策を弄して失敗する。

野村克也『プロ野球 堕落論』(宝島社新書)

奇策は、弱者の戦法である。ただ、奇策ばかりを用いてもそれは奇策にならず、正攻法との組み合わせであるからこそ奇策になる。そして奇策を使うタイミングこそ、難しい。奇策を使って失敗すると、チームの勢いを止めることにもなりかねないからだ。

奇策は本番の試合になって、いざ監督の思い付きで行うのではなく、キャンプの時期から監督の考えの1つとして、選手の頭に植え付けておかなければならない。つまり「こんな作戦もある」という選手の想像の範囲内に、それがあるということだ。原監督が以前試した内野5人の変則シフトなど、キャンプでは話にも出ていなかった。まさにその場の思い付きに過ぎなかったのだ。

彼は自身の勝負哲学を、選手にどう話しているのだろう。

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