「ダブル不合格の悲劇」を照らす夕日の記憶
結論を先に言えば、2人の息子は夫の母校である栄光を受験したが、いずれも不合格になり、他の私立へと進学した。息子たちにとって栄光は難易度も高く、問題傾向も合わない学校だったのだ。無理に受験したのは夫の意向による。
次男は、2月1日は第一志望の麻布、2月3日は海城を受験すると決めていた。塾からは「2校ともチャレンジ校なので、2日は合格圏内の攻玉社を」と言われていたにもかかわらず、2日は攻玉社だけではなく、栄光にも出願。夫の意をくみ、意図的にダブルブッキングしたわけだ。
1日の麻布の試験後、「時間配分に失敗した」と落ち込んでいた次男に向かって、夫は突然「よし、じゃあ明日は栄光でリベンジだ!」と言い出したのだ。安全圏の攻玉社受験をやめて、あえて合格可能性の低い栄光を受けよ、と次男に命じたのだ。
当時を振り返って母親はこう語る。
「(偏差値から考えて)リベンジできるわけがないんです。でも、夫は『合格可能性が50%、50%、50%で3校受けたら、どっかに受かるんじゃないの?』ってのんきに言うんです」
麻布と栄光の合格発表時間は同じ、3日15時。麻布へは夫と次男が、栄光には母親と長男が発表を見に行き、結果は両方、不合格……。栄光から自宅に戻るときに電車の窓から見た夕日を母親は忘れられないと言う。
「あんなに切ない夕日、もう二度と見たくないですね。夕日を見ながらため息をつく私に長男が『ママが悪いんじゃないからね』って言ってくれたことだけが救いです」
娘の受験にはノータッチと決めた母親の覚悟
次男はその後に受験した海城に合格し「全落ち」を免れることができた。
やや暴走気味の夫の影響もあり、波乱万丈だった息子たちの受験。それをなんとか乗り越えた母親は、ほとほと疲れてしまったという。
「息子たちの中学受験では、かなり前のめりになって取り組んだんです。長男のときは、付きっきりで勉強をみて、スケジュール管理やプリント整理も全てしていました。でも、その結果、長男は途中で息切れをしてしまい、6年生のときはほとんど家庭学習をしなくなってしまって。そうした弊害を学んだので、娘に対して『ママはあんまりもう手伝えないわ。スケジュール管理もプリント整理も全部、自分でやるのよ』って言い聞かせてから塾に通わせたんです」
忘れ物が多かった息子たちと対照的に娘はきちんとした子だった。
だから、母親はプリントや教材の整理について、受験勉強を開始する際に「机の上・本棚・やり終わったプリント置き場」の3カ所で管理するというルールを決めた。クリアファイルやボックスの使い方も最初に教えた。本人はそれら全てを自分で管理したそうだ。
また、スケジュールについても、母親はたまに声をかける以外はほぼノータッチ。親にやらされる勉強では実を結ばないことを息子たちの受験で散々学んだからだ。