あいまいなアイデアが実現するまでたったの1年

最初はあいまいなアイデアにすぎなかった。そこからコンセプトが生まれ、ビジネスプランへ進化し、実際のビジネスがスタートした。すべてたったの1年の間に、である。ネットフリックスのチームは挑戦者として強大な業界に揺さぶりを掛けるという夢を見ていた。その夢はウェブサイトのローンチ日に現実となった。

チームメンバーは初日からこれほどの成功を収めたり、これほどの注目を集めたりするとは夢想だにしていなかった。こうなるともはや失敗できないから、にわかに大きな責任を感じるようになった。虎のしっぽをつかむ――自らを苦境に追い込んでしまうという意味のことわざ――とはこういうことなのか、とキッシュは思った。

ネットフリックスに来る前はビデオレンタルチェーンのオーナーをしていたミッチ・ロウはローンチ日の夜に帰宅すると、妻に向かって不安を口にした。「これまでネットフリックスのローンチに心血を注いできたけれども、次に何が起きるのかさっぱり分からない」。これに対して妻は「赤ちゃんが生まれたようなものよ。もう生まれてしまったのだから、嘆いても仕方がない。どうするか考えなくちゃね」と応じた。

まさに赤ちゃんが生まれたときと同じように、ネットフリックスの誕生によってチームメンバーは連日のように眠れない夜を過ごすことになった。誕生1年目にして業界の2大パラダイム――VHS規格のビデオと実店舗型のビデオレンタル――を大混乱に陥れたのだから、大きな苦労を味わうのは当然の成り行きだった。

ハリウッドが参入しなかったことが追い風に

環境変化が追い風になっていたのは間違いない。DVDプレーヤーの販売ペースはVHSビデオレコーダーをはるかに上回り、97年3月に初めて市場に登場してからわずか6カ月間で40万台を販売した(VHSはその半分の20万台を達成するまでに2年を要した)。1台当たりの平均価格は98年4月時点で580ドルであり、1年前の1100ドルから大きく下がっていた。

当初はDVD規格採用に慎重だった映画スタジオも、市場のDVDシフトを無視できなくなり、毎月100タイトルのペースでリリースするようになった。ネットフリックスが倉庫で保有するタイトル数も膨れ上がり、98年夏までに1500タイトルに達した。一方、ブロックバスターとハリウッドビデオは店舗にDVDを置くのを拒否した。そのため、夏の間はネットフリックスがDVDレンタル市場を独占する格好になった。

つまり、よちよち歩きのネットフリックスがつまずいて転倒する不確定要素がいろいろあったにもかかわらず、結果的にすべてが吉と出たのだ。