臨床に応用するには「パートナー企業」が必要

とはいえ、そのように既存の価値観にとらわれず、みずからの信じる研究を積み重ねていくなかでは、挫折だってあるはずだ。そして「挫折を乗り越えて今がある」というストーリーは、新聞やテレビの大好物。もちろん本庶にも挫折の経験をたずねる質問が飛んだのだが……。

「挫折しなかったからここまで来たんですけども、非常に大きな壁にぶつかったことはあります」

挫折をしたことがないといい切れるのは、本庶の面目躍如といったところだ。実際にそうなのだろうが、ここまでストレートに表現する人はそういない。

たまたまこのタイミングで、安倍晋三首相から電話が入った。会場にいる記者たちには会話の内容がスピーカーで伝わるようになっている。祝いのあいさつなどが2、3分交わされると会見は再開し、本庶がぶつかった「壁」にかんする話がつづいた。

「2002年に動物モデルをつかってこれ(PD1をターゲットとした手法)でがんが治るという論文を発表しました。もちろん特許も出した。その後、実際に臨床に応用したいと私はかなり楽観的に考えていたんですが、パートナーとしての企業が必要なんです」

治療や診断につなげる執念の強さという「凄み」

ところが製品化に乗り出してくれる企業をみつけるのには苦労したという。一度は国内では難しいと判断し、米国のベンチャー企業と計画を進めようとした。最終的には、長年の交流があった製薬会社の小野薬品工業などが製品化に乗り出すこととなったが、それまでは本庶にとって大きな壁を感じる日々だったようだ。

広瀬一隆『京都大とノーベル賞 本庶佑と伝説の研究室』(河出書房新社)

「1年ちょっとくらい、まったくパートナーがみつからなくて、いよいよこれは自分の全財産をなげうってでもアメリカのベンチャーと開発しなければいけないかなというときは、いちばん壁を感じました」

基礎医学の研究者は往々にして、企業と組んでおこなう製品化については関心がとぼしくなりがちだ。少なくとも20年前には、本庶のように、研究者でありながら、研究成果の実用化をねばり強く模索しつづける人は多くはなかっただろう。

本庶はみずからの研究への姿勢についてこう語った。

「私自身は医学を志していますので、やはり常に、自分の好奇心に加えて、病気の治療や診断につながらないかと考えてきました。新しい発見の特許化など、応用への手順は早い段階からやっていました」

なにげない言葉だが、「医学者」としての自覚が、応用への道筋を探る姿勢にむすびついていることをうかがわせる。この応用への執念の強さは、ほかの研究者に聞くなかで、しばしば、本庶の「凄み」として語られることとなる。(敬称略)

広瀬 一隆(ひろせ・かずたか)
京都新聞 記者
1982年、大阪生まれ。滋賀医科大学を卒業し、医師免許取得。2009年に京都新聞社へ入社。在学中に7カ月半アジアを放浪した経験が、ジャーナリストを目指すきっかけになった。警察や司法を担当した後、現在は科学や医療、京都や滋賀にある大学の動きを取材している。iPS細胞をテーマにした連載も執筆した。人文学に強い関心をもち、哲学や生命倫理にかんする記事も多く書いている。
(写真=時事通信フォト)
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