「僕はメディアの人と違ってやることがいっぱいある」

本庶のあいさつが終わると、記者との質疑応答の時間帯となった。次々と手が挙がり、多岐にわたる質問が投げかけられた。その一つひとつに、本庶は丁寧に答えた。

まずは、受賞の知らせを受けたときの様子をたずねる問いかけに応じた。

「午後5時前後だったかと思いますけど、ノーベル財団の私も知っている先生から電話がありました。突然だったのでたいへん驚きました。ちょうど私の部屋で若い人たちと論文の構成について議論しているときでしたので、思いがけない電話でした」

やはり午後6時前の拍手は、本庶の受賞に対して起こったと考えて間違いなさそうだ。「思いがけない電話」というのは、毎年のようにノーベル賞候補といわれてきて、もうあえて意識することはなかったからか。

年に一度めぐってきた発表日の過ごし方を聞かれた本庶は、こんな風に返した。

「正直いってね、僕はメディアの人と違ってやることがいっぱいあるので、自分で意識することはほとんどありませんでした。いつどんな風な形で発表されるのか知らなかったので、今年は誰なのかなと思っていたら電話がかかってきた」

直截な言い方が印象的な本庶だが、一方でユーモアもあり、よく笑う。この日も「メディアの人と違ってやることがいっぱいある」などと、にやりとしながら語る様子は、いかにも本庶らしかった。

患者が病気を克服する以上の幸せはない

司会が手を挙げている私を当てたので、考えてきた質問を口にした。

「PD1の発見以外にも大きな業績があり、何年も前からノーベル賞候補といわれてきた。待ちに待った受賞なのか、それとも『まっ、こんなもんか』という淡々とした感じですか?」

いつもの癖でちょっとくだけた口調になってしまったが、「こんなもんか~」というくだりに本庶は大きく口を開けて笑ってから答えてくれた。

「賞というのはそれぞれの団体が独自の価値基準で決める。長いとか待ったとかはあまり感じていません。僕はある日ゴルフ場で、『あんたの薬のおかげで、自分は肺がんで、これが最後のラウンドだと思っていたのがよくなって、またゴルフできるんや』という話をされたことがある。これ以上の幸せはない。それで十分だと思っています」

本庶は、今いちばんやりたいことをたずねる別の記者の質問には「ゴルフにおいて、自分の年齢以下のスコアでまわるエージシュート。76歳なので76を出すのが最大の目標」と答えていた。自身もゴルフを愛するだけに、病気を克服して再びクラブを握れる患者の喜びは、我が事のように感じられたことだろう。