やさしい社会は「冷酷で疎外的」な顔を持つ

公私の場面を問わず広がる「人間の本質への(差別スレスレの)スクリーニング」は、この平和で安全な現代社会において残された最後のリスクが「人間自身」であることを色濃く反映している。皮肉で哀しいこととしか言いようがないが、現代社会における人の尊厳や人権の高まり、またそれを尊重することを要請する人権感覚の高まりこそがその背景にあるのだろう。

「内側の人」となればその厚生は大いに与えられるが、しかしその門をくぐるためには、幾重にも設けられた「不適性検査(ただしなぜか差別には当たらない)」を突破しなければならない。「内と外の断絶」が深まる社会は、もう間もなくやってくるような予感がある。

「人の尊厳を守る社会」であると同時に「人こそが残された最後のリスクである社会」は、人に対してやさしく寛容であると同時に、また別の人にとっては冷酷で疎外的な正反対の顔をあわせもつ。私的選択の自由、経済活動の自由の名のもとに、淘汰の時代が到来する。

御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』を2018年11月に刊行。Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら
(写真=iStock.com)
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