この季節、小学生以上の子どもを持つ親を憂鬱な気持ちにさせるもの、PTA。とくに役員決めが行われる年度初めの保護者会は戦々恐々とした雰囲気になる。『PTA不要論』著者でノンフィクション作家の黒川祥子さんは、「役員決めの保護者会は年々ギスギスしてきている」という。ここまで親を苦しめるPTAとは何者なのか?

PTAの恨みつらみがあふれ出す

「卒業してよかった」と、心から思えるものがある。それが、PTAだ。理不尽な思いに苛まれたり、意味のわからない時間を強いられたりしないで済むのだと思うと安堵しかない。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/RapidEye)

こうした感情を抱くのは、私だけでない。私より10も上の、大昔に卒業した世代でさえ、PTAという言葉に触れた途端、堰を切ったように恨みつらみがあふれ出す。

なぜ、母親たちはこれほどまでに、PTAというものに厄介な感情を抱いているのだろう。一昨年秋からPTAを取材し、1冊にまとめる過程で、多くの女性たちが抱くPTAに対する複雑な感情には根拠があったと、はっきり思った。期せずして『PTA不要論』というタイトルに落ち着いたのだが、これこそ、取材・執筆の過程でたどり着いた結論だった。

一体、PTAとは何ものなのか? これから3回に分けてひもといていこうと思う。

恐怖の保護者会

新年度を迎えるにあたり、多くの母親たちは憂鬱極まる思いに苛まれる。関門は、最初の保護者会にあることも重々、承知だ。母親たちが戦々恐々と身構えざるを得ないもの、それがPTAの役員決めだ。

できる人が手を挙げ、すんなり決まればありがたいが、そんなことは滅多にない。今や、多くの母親たちがフルで働き、ワンオペ育児に振り回される中で、一体、どこにPTAに割く時間などあるのだろう。だから誰もがじっと貝のように口を閉じ、自分以外の人にお鉢が回ることをひたすら願う、拷問のような時間が流れるのだ。