ユダヤ教の格言に「自分を笑える者は他人に笑われない」というものがある。これなら誰も傷つくことはなく、しかも自分自身を客観的に見られる頭のよさと人間性の強さを兼ね備えているという証しである。
テニスで言うと、この事例としてはシュテフィ・グラフ(注:夫のアンドレ・アガシの自伝によると本当は「シュテファニー・グラフ」が正しい)のあの一件にとどめを刺す。
1996年のウィンブルドン大会準決勝で、伊達公子と対戦したときのことだ。観衆から「シュテフィ、僕と結婚してくれ」とプロポーズの声が聞こえてきた。このとき、グラフは何と答えたか?「あんた、お金はいくら持ってるの?」。これで観衆は全員大爆笑した。
特筆すべきは、このときグラフには本当にお金がなかったということだ。父親が脱税容疑で逮捕され、弁護士費用だの追徴課税だの保釈金だのがかさみ、本当に素寒貧だった。ウィンブルドンのテニスファンは全員これを知っていた。それを逆手にとって叫んだから、笑いになって今も伝説として残っているのだ。
▼大坂なおみ
なぜ優勝したのに涙で謝罪したのか?
人前で話すのは苦手でも愛される理由
大坂なおみのスピーチを、友人のデイビッド・セインに見てもらった。「すごく謙虚で、性格のいいところがよく出ているよね。ありのままの姿で話していて、今のままでも十分ファンに愛されるだけのものを持っている」と語る。
本人はことあるごとに「人前で話すのは大の苦手です」と話すが、19年の全豪オープン優勝のときも、まずは対戦相手のペトラ・クヴィトヴァをたたえるところから始めている。「ずっとあなたと試合をしたかったし、あなたはあまりにも大きな困難を乗り越えてきた」と語る。ここでいう「困難」とは、かつてクヴィトヴァが自宅で強盗に襲われ、手に重傷を負い、神経修復手術をして選手に復帰したことを指している。「相手をたたえ、歴史に触れる」があり、しかも後ろを向いてクヴィトヴァ本人の目を見ながら話している。だから全く問題ない。
周知の通り、18年の全米オープン決勝においてはセリーナ・ウィリアムズの審判に対する暴言などもあり、会場全体がブーイングに覆われる異常な状況だったが、そのときでも大坂なおみは節度を失わなかった。決勝後の司会者の問いかけに対し、「あなたの質問に対する答えとは違ってしまいますが、ごめんなさい」と断りを入れたうえで、皆さんがセリーナの勝利を期待していたのに申し訳ありません、と涙を流しながら語った。勝ったことに謝罪する優勝者というのは前代未聞ではないか。
そしてきちんとセリーナを立てることも忘れていない。
「全米オープンの決勝でセリーナと対戦するのが長年の私の夢でした。あなたと試合ができたことに感謝しています。ありがとうございます」
全米優勝後、大坂なおみは米国の人気番組、エレン・デジェネリスのトークショーに出演した。