これは韓国側の事情であり、国際的に他国に対して堂々と強く言えるものではないかもしれないが、それでも1965年当時の韓国政府には、決して強固な民主的正統性があったわけではなかった。「1965年当時の韓国政府が韓国国民をきちんと代表していたかと言うと、必ずしもそうではなかった」。この点が、日本側の弱い部分の一つである。
一方、「1965年当時の韓国政府に民主的正統性が弱くても、一応政府は政府である。ゆえに韓国政府と日本政府の合意は有効であり、ある程度韓国国民を拘束する」と考えたとしよう。では、そのような政府の行為によって国民の財産や請求権を一方的に消滅させることができるのか?
ここは日本政府や国会議員、そして日本国民もきちんと頭の整理をしておかなければならない。
今の日本の論調は、1965年の日韓請求権協定によって、政府の請求権のみならず、国民の請求権も全てなくなったと解しているものがほとんどだ。
ところが話はそう簡単ではない。
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日本の最高裁は2007年に「平和条約によって個人の請求権が完全に消滅したものではない。しかし平和条約を締結した目的が無数の民事訴訟を回避するためにあると考えられるところ、裁判所を使って個人を救済することはできなくなった。原告(中国人労働者)が筆舌に尽くしがたい苦しみを味わわれたことは事実であり、被告企業は裁判所の手続き外において任意に誠実に対応することを期待する」と判決を下した。
つまり裁判所では救済できないものの、個人の請求権自体は完全には消滅していない。そうである以上、被告企業が裁判所外で誠実に対応することを期待する、という判断である。
これが日中共同宣言、日中平和条約によって「戦時中のことは全てチャラにする」としたことに関する法的解釈の現実である。しかも日本の最高裁の判断だ。単純に、個人の請求権は完全かつ最終的に消滅した、チャラになったというものではない。
日中共同宣言、日中平和条約があるから、あとは知らん! という対応を、日本の最高裁は取っていない。この判決を受けて被告の日本企業は原告たちと和解した。被告企業も、日中共同宣言、日中平和条約があるのに中国国民は訴えてきてけしからん、という態度は取っていないのである。
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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.127(11月13日配信)を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【韓国徴用工問題(1)】日本には法的“ケンカ”の用意があるか? 安倍政権が見落としてはならない重要ポイント》特集です。