“通帳横流し”をした56歳を誰もマヌケと呼べない

裁判長の言うことは正しい。被告人は送った通帳やキャッシュカードが犯罪に使われるであろうことを知っていたに決まっている。そんなことはどうでもいいから60万円貸してほしいと考えていたのだ。送付先に私書箱を指定する相手が、約束通り60万円融資してくれるはずはないのだが……。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/LUHUANFENG)

しかし、それはマヌケというより、そこまで頭がまわらないほど必死だったと考えることもできる。60万円は遊びに使いたくて借りようとしたのではない。生活費を補充し、ローンの返済をすみやかに行うためである。

ローン返済が滞ればどうなるか。最悪、マイホームを取り上げられたり、子供の教育に支障をきたすようになる。被告人はなんとかしてそれを防ごうとしたのだ。

やったことは悪い。法律に反した行為だった。自分勝手な行動で、多くの人に被害を与える可能性もあった。しっかりしろよ、と僕も言いたい。が、だからといって裁判長の正論にうなずく気にもなれないのだ。

営業マンとして数十年間も働いてきた被告人には、守りたいものがある。せっかく建てた家であり、家庭の安定だ。手段は間違えたけれど、今回の事件もそのために起こしたようなものなのだ。もしも60万円借りられていたら、被告人は昼食代を節約し、妻にバレないような言い訳をしてボーナスの一部を使い、きっちり返そうとしただろう。

家族に知られれば、家庭は大混乱になる。離婚されるとか、子どもから軽蔑されるとか、いいことは何もない。お父さんは私たちのためにそこまでやってくれたんだ、なんて思ってはもらえない。

会社だってそうだ。知られたら問題になるのは必至だし、同僚からはさげすまれ、高い確率で首が飛ぶ。そうなれば当てにしている退職金にも響き、ローン返済がいよいよ苦しくなってしまう。家や家庭を守れない。定年まで勤め上げるのを前提とした人生設計の被告人にとってそれだけは避けたいことだったのだ。

世の中は理屈だけで動いているのではないのだ

今回、いくつかの幸運が重なり、家族や会社に知られることなく裁判当日を迎えることができた。守りたいものが崩壊しかねないところだったが、最後の一線で踏みとどまれている。被告人は薄氷を踏む思いで普段と変わらぬ風を装い、今日を迎えたのだ。いまさら知らせるはずないでしょう。

裁判長は、重大な秘密を抱えて生きていくのは、家族への裏切り行為じゃないかと言いたかったのかもしれない。「あんたは卑怯者だよ」と。あるいは、「正直に話せば家族は理解してくれるんじゃないですか」と。

甘いな。理屈はそうかもしれないが、世の中は理屈だけで動いているのではないのだ。

被告人にとって、いまは人生最大のピンチだ。あと4年、歯を食いしばって働くと決めている。ローンを終えるまで、家族にも会社にも今回の件は内緒だと決めているのだ。逃げ回っているのとは少し違う。

人生で最も苦しい4年間になるだろうが、被告人は耐えるはずだ。節約に励み、スーツも新調しない。二度と犯罪には加担しない。それが被告人なりのけじめの付け方なのではないだろうか。それは正しくないかもしれない。でも僕はその考えを否定したくない。

(写真=iStock.com)
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