「痛い目に遭ってから」では遅い

何も詐欺師のような裏社会の連中だけが「養分」を狙っているわけではありません。経済合理性に欠けるクレジットカードのリボ払いや、虎の子の退職金を高コスト・高リスクの投資信託に誘導する銀行など、合法的に「カモる」手法は世にあふれています。

こうして実体験で痛い目にあえば、「お金のことをちゃんと考えないなんてありえない」と悟って、目からウロコが落ちるかもしれない。でも、それでは手遅れなのです。目が覚めるほどの実体験が、致命的な額の借金だったり、職業選択での大間違いだったりすると、リカバリーするのはかなり大変だからです。

「『養分』にならない」という個人の自己防衛の理由だけでなく、日本という国全体で考えても経済・金銭教育は重要です。

「貯蓄から投資へ」という言葉は、私が経済記者になった1990年代半ばから、延々と掲げられてきたスローガンです。個人のマネーが投資に回り、それが新しい産業と雇用を生んで、経済成長を後押しする。そんな市場経済が持つ本来の好循環を回すための土台は、日本人一人ひとりの金融リテラシーのはずです。

何も、誰もが投資の達人になる必要はない。そのために資産運用のプロがいるわけですから。でも、ある程度は「なぜ自分が資本市場に参加するべきなのか」「どんな選択肢が合理的なのか」というコンセンサスが社会に定着しないと、お金を回すサイクルは機能しない。

実践的な知恵を身につけてから「大人の世界」に参加すべき

マネーの面だけではなく、労働者や起業家として経済成長の一翼を担うこと、一言でいえば「なぜ人は働くのか」という問題についても、自分の中に軸のようなものがあるのとないのとでは、職業選択や働き方にも大きな差が出てくるでしょう。

誤解がないように付記すると、何も「金銭忌避」から「金銭崇拝」に振り子をふれ、と言っているわけじゃありません。ご一読いただければわかりますが、『おカネの教室』のテーマは、「お金の大切さと面白さ、そして怖さを知ろう」というものです。