人質を取られてもイラク撤退を拒否した小泉元首相の「究極の決断」

以上、つらつらと述べてきたけど、進次郎さんの政治家としての態度振る舞いのみを対象とし、そして世間で評価されている彼の様々なプラス面を考慮したとしても、僕は今回の総裁選における彼の態度振る舞いを見て、政治家としての期待を失った。彼の政治スタイルは僕の感覚には合わない。一国民として非常に残念だった。

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進次郎さんは、2012年の総裁選において、石破さんを支持したらしい。じゃあ今回もそのまま石破さんを支持するのかといえば、これだけ激しい権力闘争において負ける方に付くわけにいかない。今の石破さんの情勢は厳しいので、進次郎さんは慎重にならざるを得ない。

しかしだからと言って、情勢で有利な安倍さんの方に簡単に付くわけにもいかない。石破さんから安倍さんに乗り換えたことについて、勝ち馬に乗ったと見られ、国民からの支持率が下がることは避けなければならない。

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政治家の力には大きく分けて二つある。一つは政治の世界における人間関係の力。自分がお願いすれば、それを聞いてくれる人間がどれだけいるか。自分を支えてくれる人間がどれだけいるか。これが本来の政治力だろう。

そしてもう一つが、国民からの支持率。民主政治においては、選挙が最も重要になる。選挙に勝たなければ議員の座を保持できないし、党としても政権を獲ることができない。この選挙で勝つためには、当然、国民からの人気が重要だ。

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ただし政治家にはそれ以上に必要で、決定的に重要な能力が求められると僕は自分の政治家経験を基に認識している。

その能力とは、究極の場面での決断力と、その説明力だ。

政治力もなく、たいした権限もないしょうもない政治家は、究極の決断力など求められることはない。適当に政治家人生を楽しめばいいだけ。しかし進次郎さんのような政治家たちは違う。

これから日本の政治の枢要に位置していくだろうし、そして権力を握れば握るほど、もっと言えばトップに近づけば近づくほど、究極の決断を求められる。特にナンバーワンに求められる究極の決断はえげつないものがある。ここはナンバーワンと、ナンバーツーでは、天と地、月とすっぽんくらいの差がある。ナンバーツーは、やはりナンバーツー。ナンバーワンが負う責任と重圧は、ナンバーツーのそれと比べ物にならないくらい重い。

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国のリーダーである首相の決断となれば、知事、市長の決断とは、その究極性のレベルが全く異なるだろう。戦争をする権限もあれば、国民を殺してしまう決断も求められる。そういえば進次郎さんの父親である小泉純一郎元首相は、2004年、アルカーイダによってイラクにおいて日本人が人質に取られ、自衛隊撤収を求められた時に、拒否の決断をした。そのことによって人質は惨殺された。ほんと究極過ぎる決断だったと思う。

そしてトップの決断は、インテリや学者のように理想論だけを追求するわけにいかない。そんな理想論は言われなくても分かっているけど、それでも現実的にこのような決断をせざるを得ないということに、次々とぶち当たる。悩む暇もないくらいに。それに対してインテリたちはお気軽に理想論だけで批判してくる。

特に、状況の変化によって、以前の考えや判断を変えなければならないことは多々ある。状況に合わせた現実的な判断というやつだ。しかしこれは、有権者からは、「筋を曲げた」「判断がぶれた」などと批判され、支持率が一気に下がって政治家にとって命取りになるときがある。

まさにこのようなときに、どのように説明をするかが、権限と責任を持つ重要なポジションに就く政治家の勝負所だ。以前の考えや判断を変えたときの説明の仕方。ここが本当に大変なんだ。

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