民間人になったから言える戦没者への「御礼」
太平洋戦争が避けられていたら、軍は残っていただろう。ましてや戦争に勝っていたらどうなっていたか。当然、明治憲法下の政治行政がそのまま残る。もちろん、その後の時代の変化に伴って、日本の政治行政の仕組みも徐々に変わり、最終的には今と同じほどの自由を国民が享受することになるだろうが、それにはもっともっと長い年月がかかるだろう。敗戦を経験することで、我々は猛スピードで、今の自由を享受することができた。このスピードのために300万人以上の犠牲が必要だったと言い切れるのか、ここが悩みだ。
確かに300万人以上とも言われる犠牲者が出たことを、簡単に肯定するわけにはいかない。しかし、あの太平洋戦争に負けたことが、今のように国民が世界でも珍しいくらい広く大きな自由を享受することができるようになった決定的要因なのではないか。
こういうことをいうと、「橋下お前は、GHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)に洗脳されて自虐史観に陥っている。お前はアメリカなどの戦勝国に感謝し続けるのか、原爆投下を肯定し続けるのか」と批判されるだろう。
だから悩み考え続けてきた。まだ多くの人を説得できるだけのものを持ち合わせていない。戦勝国に感謝はしたくないし、原爆の投下も肯定したくない。戦没者に対して、皆さんが亡くなられてよかったです、とも言いにくい。だけどあの大戦があったからこそ、敗戦があったからこそ、戦後このスピードで今の自由があるとも感じている。あのまま戦争を避けていたり、戦争に勝っていたりしたら、日本の政治行政は、せいぜいトルコ程度の民主主義にしかなっていなかったのではないか。
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僕は今は民間人の立場で、戦没者の皆さんに感謝と哀悼の意を表したい。そして「戦争があり敗戦があり、戦前の政治行政システムがぶち壊されたからこそ今の自由を享受できています。戦前の政治行政システムを命をかけてぶち壊して下さり、ありがとうございました」と知事・市長のときに追悼の辞に加筆しようとした言葉を、民間人となった今、述べさせてもらいます。やっぱり、どのように考えることも、何を言っても、政府をどのように批判しても自由な今の日本社会は、戦前の社会に比べてはるかに素晴らしい!
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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.115(8月14日配信)を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【今考える敗戦の意義〈1〉】戦争がなかったら、勝っていたら今の「自由」を享受できたか!?》特集です!